どうも、ゆきひらさぎりです。
今回は2冊。
小説は読了に時間がかかるのであまり手にとりませんが、文圧(?)が高いとぐいぐい引きよせられて逃れがたいんですよね。そうした意味では本記事の1冊目は完全な当たり。訳者が良い。そしてきっと原著も。
『わたしの全てのわたしたち』サラ・クロッサン著 最果タヒ 金原瑞人訳
ひとりひとり、生きてる。
ハーパーコリンズ・ジャパン サラ・クロッサン著 最果タヒ 金原瑞人訳『わたしの全てのわたしたち』kindle版
なにもかもをわけあって、
なにもかもを共有して、
ここで、ひとりひとり、生きている。
そんなことがどうして、
私たち、できているんだろう?
小さな泡がつま先立ちをして、炭酸水の水面へと、昇っていく。それをママは見つめている。ゆっくり、ポテトを噛みながら。パパは、ベッドでまだ寝ている。今も、シーツに嫌な匂いが染み込んでいく、ウイスキーの酔いを、ゆっくりさましていっている。
ハーパーコリンズ・ジャパン サラ・クロッサン著 最果タヒ 金原瑞人訳『わたしの全てのわたしたち』kindle版
ポテト冷めちゃうよ、なんて誰も言わない。
廊下に満ちた、あの吐瀉物の臭いのことも誰もなにも言わない。
声はできる限り小さくして、しずかに食べ物を口に運んだ。
明日はすべてが変わっていますようにと、ただみんな、願っている。
事前情報の無いままに最果さんと金原さんの名前だけで買いました。
語り手は結合双生児(坐骨結合体双生児とある。坐骨のところでくっついている、と)として生まれたグレース。ティッピはいつでも隣にいて、別別だけどもそうじゃない、私たち、を構成している。そんなお話。
ぼくはぼくでここにこうして在る、作文をしているわけなんですが、ちょっとずらせばどこかしらに他者が存在しているわけで、そういう世界に暮らしているので当然なんですけれども、でも自分じゃないだれかのことなんてさっぱりわからないんですよね。どんなにちかくにいようとも。
見ているものも聞いているものもちがう、感じかただってちがう、わからない。なのにおなじ人間ってところでなんとなく通じるような感覚もあって、錯覚も、で、なんにもわからないまま共感しあったりしている。共有する。
とはいえあまりにもかけはなれた状況、状態にある人たちのことについては、要は自身の日常に組みこまれていない何か、誰かに関してはどこかとおく、いや、断絶といってもいいかもしれない、そうした感じを抱いていて、つまり元元隔たった存在である他者というものをよりはっきりとわからされる、わたしはあなたじゃないし、あなたはわたしじゃない、という事実を、わたしはわたしでわたしたちじゃない、という現実を、決定的に意識させられることになる、でもこれって、たぶんそうしないと、誰にでもなれてしまうと生きてはいけないからそういうふうになっているんだろうななんてぼくは思うのですけれども、この作品を読んでいるとそうした遠さを越えてわたしになってしまう感覚、あなたになってしまう感覚があって、そんなわけないんだけどね、そんなはずはないのだけれどもグレースに、けっして理解しえないあなたになってあなたの視座から世界を見るような感覚になってしまう、だからよかったなって、わからないのにな、良い作品だなって思いました。

『歴史の風 書物の帆』鹿島茂著
十八世紀のフランスは異常なほどの涙のインフレーションの時代だった。とりわけ、ジュネーヴ人ルソーの持ち込んだ「感じやすい人間」という観念は、涙は優れた感受性の表現という共通の認識を社会に広めた。人々は、男も女も、本や芝居で、あるいは愛する人との語らいの中で、さらにはただ自然の美しさに接しただけで、さめざめと泣き、そうすることで自らの感受性の豊かさを見せつけ、また相手の情感の深さを確認しあった。涙は感受性のバロメーターとなった。その結果、涙は文学作品の基準となり、どれほど泣かされたかで作品の成功が決まった。民衆に涙を流させることで魂の浄化を行おうとする「催涙劇」なるものまでが登場する。
小学館文庫 鹿島茂著『歴史の風 書物の帆』電子書籍版 p.23
書評+読書エッセイ。
著者の鹿島氏には仏文学者としての顔があり、したがってとりあげられる書物もフランス関連中心。とはいえ語りが巧みで知的好奇心の盛んな者であればまず楽しめる内容ではないでしょうか。個人的には一冊の紹介が短いことがうれしいですね。端的で勘どころをおさえた評とでも書けばよいのかな。とにかくよい具合に刺激を与えてくれます。エッセイ等それなりの頁が割かれている項目もあり。とても楽しい。
以下、本書で登場し、かつ未入手で読んでみたいものをいくつか。
『馬車の歴史』ラスロー・タール著 野中 邦子訳
『恋の文学誌──フランス文学の原風景をもとめて』月村 辰雄著
『鏡と皮膚──芸術のミュトロギア』谷川 渥著
『ファンタスティック12』荒俣 宏編著
『モードの帝国』山田 登世子著
まだまだありますぜ。
コメント