本質を見極める器官はこの身の随所に備わっているのだろうなという話

雑記

頭んなかだけじゃなく
そして後天的に鈍くも鋭くもなる


鋭く、と書きましたが鈍化の対義語は激化
なんとなく鋭くなる感じがありますけれども単純に字面が似ているだけですね
わたしも一時期かんちがいしていました、あまい


話を戻します
今回は本質を見極める器官に全神経を集中させることでより良く生きられるんじゃろうなあ知らんけどという記事です


本質というのは枝葉を切りとり夾雑物をふるいおとした果てに残る一点のこと
ここでは事実、事象そのものを指します


思考は基本そこからおしすすめる必要があります
でないと前提を間違えたまま果てしなく偏向してゆきかねません


本質を拾いあつめる手段としては本や動画、SNSなどさまざまありますが、しかし抽出された上澄みばかりを啜っていても血肉には変わりづらいです
それはたんなる消費行動で、切実さを欠きます


切実さを欠いた消費行動は一過性の感動にしか繋がりません
所詮は他人事、あっさり霧散します


なので本質に到達するまでの道すじは当然として、過程における思考の流れ、心身の遷移などこまやかになぞります
自身のことのように体験することで不完全ではありますが他者の視座を獲得できます


視座の複数化を経るたび世界は複雑になりますが、あらゆる関係性において発達した回路は役にたってくれます
仙郷に入るのでもないかぎり継続した方がよいやもしれません


次に獲得した視座から見える世界、思考の流れ、うつろう感情を抽象化します
抽象化という工程は大切で、これを経ないと思考の鋳型が身につきません


思考の鋳型は物語の型のようなもので、課題や問題を当てはめることで迷子や停滞、破綻を避けつつ考えつづけることができます


思考の鋳型が身につかないと前例のない事態にうまく対処できません
考えるにも技術が要るということです


ただ厄介なことに、思考力を磨き教養を身につけたとしても必ずしも万象の本質に肉薄しうるわけではありません
なまじ学習したために見るものに膜のかかる場合もあります


なので個人的には視座の獲得、学習の継続はもちろんのこと、得た知見を正しさの証明や主張ではなく後顧と軌道修正に利用すべきだと考えています
その方が有益なので


言ってしまえば正誤という概念自体、狂気や妄想の産物でしかありませんし、そうした場でそうした目的をもって集まっているのでもないかぎり振りかざす意味も価値もないんですよね


人類が滅んだところでそれは正しくもまちがってもいません
ただそうした事実があるだけです


人生において目にするであろう各種設定は便宜的に設けられたものにすぎず、銘銘が遵守することで混乱や衝突を避けられるといった程度の存在です
だからしょうもないとかいう話ではありません、めっちゃ大事です


話、逸れてんな


新たな視座の獲得、学習の継続が云々と書きましたが、実際のところこれらを辞めた瞬間から鈍化がはじまります


鈍化、つまり人間としての、引いては動物としてのはたらき全般が鈍ってゆくということです
それとわかってそうした生き方を選択するならなにも問題はありません


しかしそれと気づかないままながらえるのはけっこうしんどいです
なぜか


無限に生じる思いこみや決めつけに一生翻弄されつづけるからです
どうしてもどうあっても絶対的に守りたい何かを守るために戦っていたらそもそもが虚妄でしかなかった、というフィクションもあった気がしますが、劇的もなにも現実にありふれたことです


だからこそ冒頭で書いた本質を見極める器官をうまく駆動したいなと考えています
月並みな表現ですが、幸福度を高めるためにです


五感の括りにおさまりようもなく鋭敏な神経がそなわっているとするならば、集中させることでともすれば散漫し薄まりがちな意識を一瞬の価値の最大化に使えます


呵責や悔悟といったものから距離を置き、好きなものに囲まれて暮らす
ノイズを断ち切るとかいったことも鍵となるやもしれません


もちろんすべて割りきって生きるのは難しいですから、均衡をとりつつ取捨選択を繰りかえすことになるのでしょう
しかし取りくむ価値はあると思います


どのような生き方をするにせよその先にあるものは必ず引き受けることになります
どうせなら良い感じで過ごしたいぞ俺は

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