どうありたいかってことが大事なわけじゃない人生って、結局は。あと音楽、委員長とか創作:20201212

創作

今日くたばるのか明日なのか、わかんないなかふらふらと人間らしきものをやってるんだけれどもこうあるべきとかそんなん無いし、ないものをあるある言ってるのが我我とはいえ息が詰まるんだよなどっかでさ、どうにもならない自分のままか、人並みのなにかを手にした自分なのか比類のないほど恵まれた自分でいるのかは知らん、ただ現実はいつだってうるさくて黙らない、わけで、だからからっぽだって失くさないで抱えて生きている(瞑想だって流行る
だれかやなにかと比べてみるならあれが足りないだのこれは勝っているだのと並べたてて退屈極まりないものですよ
どいつもこいつもおんなしところでなにやってんのばかみたいって一度だって思わなかったか
俺はずっとそうだったし馴染みようなんてない、どこにも
そのへんのひとみたくやれよ安全だからってどっかで思ってないか、平穏、平和、ちょっとばかし気を利かせてみせればいいよ尊敬だってされうる愛される嫌われたりなんてしないなんの意味がある?
意味なんかあったか?
これまで生きてきてほんとうにあってほしかったものがそれで手に入ったのか?
誰かのための自分、何かのための自分、自分のための自分、どこでどうして何者であろうがそんなことは俺らの勝手でだから好きにすればいい
おもしろくもないことをずるずるつづけるか?
そのまま終わっていや良い人生でしたねってあんたは言うんだろうか、どうなんだよ、どうなの
したこともしなかったこともすべて返ってくるなかったことになんてならない水になんて流せない死ぬまで蠢いている腹んなかで死ぬまで
率直さってのは畢竟そうしたところから出てくるよね
結果はどうあれ思ったことちゃんと言うのって、言わないなら言わないってきっぱり決めてぜったい言わないのって、後悔しようと大損しようと関係ないそんなもん

The Head and the Heart『Living Mirage』を聴いている

The Head and the Heart – "Honeybee" Official Music Video

『世界教養全集 4』を読んでいる

文体はつねにその「文想の恋人」の感化を受ける。考え方や表現法が年とともにますます恋人に似てくる。これこそ初心者が文体を修練しうる唯一の方法である。後年にいたれば、自己を発見することによって自己の文体を発見する。

林語堂 著 阪本勝 訳『生活の発見』p.378

TWO LANES『Lights(Extended)』を聴いている

TWO LANES – Feel (Official Video)

ねこ、といってついてゆく

ねこなのでそうなる

好きすぎる

毎日でも話がしたいと思うくらいには
愛していますと伝えたくなるくらいには

〈印象〉

こたえらしきものをさがしあるくふうにねむった、午後、交差点はまだかるく、ひかりの流れの凍るきざしはない
鳴らしたような感情の手にありふれたわたしは枯れきったことばをひろえないで散らして、水、聲とは不可分に、いくつかの器官とその可読性に透きとおる文字、ささやきを刻んだ、胸、呼吸、とまってはいない
あたしは言ったの愛してるっていった
体温にとけて陽の蜜の反射のいろをしていた意味は夕凪みたくゆるやかにあって、ねこみたくどこかであなたをみている
風にゆびをとおす
あまたの糸の、絡まることもない
愛してるって、言ったのよ、あたし

実はこれまでほとんど聴いてこなかったV系(と書くとヴィジュアル系になるのか)楽曲を聴こうと思って

委員長からはじめた
そういやヴィジュアル系もほぼ知らない
さておき一語目が鼻血なの良いな、歌詞

「SMASH The PAINT!!」収録曲 【『アンチグラビティ・ガール』月ノ美兎】公式フルMV

おもしろい本を読んでいるときほどたのしいことは(そんなに)ない

いま思いあたるのは話したい人と話すとかすげえ良い作品を観る、聴くとか、そのくらいでしょうか
遊び、ということについてあらためて考えてみると、むかしはゲームがそれだったんだけれどもいまではもうちがっていて、いや遊びであるのは変わらないのですがじゃあやりますかという気持ちにならない
PS5も買う予定無いし
無駄だとかやってなんになるのとかそういうことは思っていない
なんなら実況やプロゲーマー、開発者や情報系コンテンツの制作という選択肢もあるわけで、ただただ遊んでそれで終わりにしないこともできるわけですから
たんに興味関心が薄れてきている
なんなんでしょうね
これはいま思いついたことなんですけど、ひょっとしたら共有したくないのかもしれません
プレイ体験というか
ゲームってぼくのなかでは自分対作品のきわめて個人的なつきあいの対象だったんですよ子供の頃は
同じゲームをやっている人は当然まわりにもいて、たくさん売れてみんな知ってるよねこれみたいな、そういうのってあったんですけれどもそれだけで、オフラインだった
けれどもいまは簡単につながりを持てる
作品についての言及や実際に遊ぶ場面に立ちあえてしまう、共有できてしまう、自宅に居ながら
だからどうでもよくなったのかもしれない
自分じゃなくても他の人がやってくれているわけで、ぼくらは画面を眺めていればいい、片手間にでも消費できてしまう状況が構築されたわけです
プレイするのはぼくじゃなくていい、それってぜんぜんおもしろくないなって
だったら情報を遮断してオフラインで黙黙と遊べばいいのかというと、もうそういう世界じゃないことを知ってしまっているんですよ、その時点で戻れない
ぼくは現実でも大人数での交流を嫌っていて、どうしてかというと、薄まるんですよね、別に誰でもいいんじゃない適当にあいづちうって盛りあがるところで拍手してりゃいいんじゃないえっと飲み会とか主賓が話しますって時には、ねえ、なんだかふわふわしちゃって替えがきくふうでうんざりしてしまう、もう無理だなって思ってます



で、そうだ、じゃあ本はちがうのかというとそうでもない
たとえばkindleなんかはどこがどれくらいハイライト(マーキングみたいなもん)されているか表示されたりするんですよね
読み終わるまでの時間とか、平均だって、個人差あると思うんだけど確認できちゃう
ひとによっては参考になる? ぼくには必要ないかな
あと読書会とかYouTubeでの情報発信とか、いろんなかたちで本好き同士の交流は可能で、だから実際そうでもなかったりする
なんだけれども文字を追う作業そのものって共有しづらいというか、結局自分で読まなきゃならないわけで、解釈とか理解度とか後から他人の記述を漁ってみたりってことはできますけれどもその瞬間はどこまでも自分対作品の時間という感じがしてだからたのしいなって、特に紙はそうした感覚がつよくある、とここまで書いてなんかちがうなって思いはじめてますけどせっかくなので残しておきます
またなにか思いついたら整理して書くかもしれない

教養という語のつく本を所有している時点で教養を身につけたさみたいなものが漂う感じある

のだけれどもそこはどうでもよくて、単純におもしろそうだと思ったら読めばよいですね

Lapalux『Lustmore』を聴いている

この曲いいな

Lapalux – We Lost

『世界教養全集 4』を読んでいる 2

人間が言葉を愛することは無知に堕ちる第一歩であり、定義を愛することはその第二歩である。

林語堂 著 阪本勝 訳『生活の発見』p.403

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