言葉と行動、読書の習慣。アートといえばアート。私のやり方。:20201219

雑記

言葉はどこまでも言葉でしかなくそのものにはなりえない、無尽にかさねて肉薄しうる性質などそもそも持っていない、といった認識があってはじめて虚実の均衡がたもたれるところが我我にはあって、偏向するとそれだけすっ転びやすくなる
こうでなければならないのに、こうあるべきなのに、なんてものを多く抱えるほどにそうじゃない現実に苛立ちをおぼえるものじゃないですか、だからそうじゃない現実を数多く知り対処法を知り、あるいは正解は無いのかもしれないのだけれどもその時その状況における最適解を導きだす能力は鍛えておいて損はない
読む、読んで実践することである程度育つ感覚はあると思う
ぼくなんぞは考えたいことしか考えないので普段は思考のあさっての方向へと向かっていますから現実の問題、退屈な課題に右往左往するんですけれどもそれはいい、ここでは



読書習慣は重要で、もちろんそれだけで万事恙無く片づくこともないのでごはんだって食べるしねこやすみだってするし服だって着るのだけれどもやっぱり重要で、読まないという選択のさきには世界のひろがることもなくふかまることもなくなった私がいるよねっていう
つっても現代、動画なりなんなりある、そこで得られるものも同様にたくさんあるのだけれどもたとえば言葉の一切出てこないたぐいのコンテンツであったとしても人間が理解できるものってまちがいなく論理が底流してあって、要は言葉でもって理解可能な状態にまで組みたてられて並べられ磨きあげられて提示されていることがほとんどなので、だから言葉があまりわからない、理解が浅いと表層にあるものしか拾いあげることしかできなかったりする
キャラクタやシチュエーション、感情のわかりやすく表明されてそこに反応するのは容易いんだけど、言及もされないければ表情にも行動にもでないもの、行間とか空気感までをも読みとるにはそれを可能とするだけの素養が求められるってわけです
時代背景や作者の状態や、わかりやすいところだと一部海外作品を理解するには聖書だのシェイクスピアだのを理解している必要があるみたいな、あと場合によってはなんらかの分野の基礎から応用専門知識まで求められたり、といったことが当然のようにありまして、そうしたものの備えるまでもなく楽しめるものは当然親しみやすいじゃないですか
子供向けだったり大衆向けだったり、消費するだけで一生やってけるわって程度には世に溢れていて、でもそうじゃないものだってやっぱりたくさんある、で、そうじゃないものがわかるようになるって簡単じゃないし手軽でもないんだけれどもだからこそ味わえるものがあるよねっていう
勉強したり知識なり経験なりを体系的に積みあげたりしてようやく届く領域はあって、そういうのってわりと人生を左右するんかもなって



人づきあいだってそうで、ぺらぺらと調子の良いことを言う人間がいるとするじゃない
ぼくらは対面で彼だか彼女だかが放りなげてくる語の意味を追う、追うんだけれども言ってることやってること書いたことの意味の前に存在したはずの意図まできちんと読めているかって話で、真意ね、そこがわからないとひょっとしたら自分を益するために他人に親切にするとか手伝うとか褒めるとか持ちあげるってことをやっているだけの利己的な人間だってことがわからない(それでも嫌なことをする人間よりはずっとマシだ)、気晴らしとか現実逃避、快楽やごまかしのために他人を利用しているだけかもしれないってことがわからない、あるいは自分が損をしてでも誰かのために、とか、そういったこともあるのだけれどもそこを読みとる力が育たない
そのへんは心理学を学べばある程度把握可能なんやろうけれども学ばないでそんな感じの私になっちゃうのって俺は推称できないししたくもない
要は言語を(通して)学ぶことがおなじように言語を扱う者とかかわる上でたいへんに有用だってことなんだけど、連中がつくった社会を生きる、生きのびる上でもどこまでも有用なので、まあ読むと良いよねってことを書きたかっただけ
そんな読んでないよって人は読まずに過ごしたこれまでを振りかえって満足のゆくものであったかどうか、満たされて不足のない日常であったのならば問題ないと思います
過去にも現在にも納得しないどうしようどうすればってひとは読みゃいいんじゃないですかね
読んでなんかやって、なんかやって読んでってことをくりかえせばいい
言語外の経験体験との結びつきがあってようやく言葉や知識が真に生きてくるっての、あるので
そういう意味ではぼくは無用のものばかり生産しているのかもしれないのだけれども

シンプルなイラスト(モノクロ)が絵画として数十万円で販売されてしかも売れていたりするので

言いきっちゃうのが大事なのかもしれないこれはアートだってと思った
そしたら気にいった人が買う
うぃんうぃんねこになれるねこ
なんでもそうで、カテゴライズすることで生まれる観点とか尺度とか価値があったりするので、あえてそうするってのもありなんだよなあ
着想にも結びつくしね

日日の行為の一つひとつに私を持ちこむ

スタイルの確立って大切じゃない
食べるとか寝るとか書くとか喋るとか着るとか歩くとか今日を構成する様様な行為があって、たくさんのひとが毎日やっている
そんなかで、別にまわりの人間とおなじようにこなしてしまってもいいんだけれどもそうじゃなく、私のやり方ってものを考えてみる、誰の真似でもない特異な手段をとるってのはおもしろいものなんじゃないかって
まあ浮くんですけれども個性って、良くも悪くも目立っちゃう、なのでそれが嫌だってんならこっそり、ひとめにつかないところで自由にやる
抜きんでて優れるとか上手いとかそんな必要って無くて、これが自分だと思えることをきちんとできているかなんだよな
そうしたものの積みかさねが肯定感や自尊心に結びつく感じもあるし、いやわからんけどたぶんね、あと生きる実感とかたのしみとかに繋がってくるのでしょう
なのでなにげなくしてしまっている行為を振りかえってみる、ちょっと変えてみるってのはありかもしれん

たのしい時間はみじかいもので

永遠なんてものを考える気持ちがわからなくもない、というかよく書いてるんだけど作品に、だからわかりすぎるというか終わりがあることをどこかで拒んでいたいんだなってたまに思ったりする
拒むのではなく拒んでいたい、いやだと思えるわたしでいたいのだろうなって
好きなひと、好きなもの、好きなこと、触れたり感じたりいろいろと、つづいてくれればそれがいちばんいいってやっぱり思うから、欲だって出る、どうしても(ずっと話していたいとかふつうに思う



終わりは終わりで必ず来る、だから仕方がない、とか、そういうふうには考えない
永遠なんてありはしないだからしょうがないなんてふうには俺は考えていない
残された時間をどう使うか、自分のために、誰かのために?
なにができるのか、したいのかってことよな結局

きっと、また来週

さきのわからなさほどわからないことはなくて、明日を生きてここに在る保証なんてものもどこにだってありはしない
だからいまできること、いましかできないことを大事にしてゆきたい、などといったごちゃごちゃはどうでもよく、ただただまた来週とかまた明日とかそうしたことを言いたくなる相手がいて、そうした気持ちになれる相手がいる
それってほんとに特別で、好きじゃなきゃそんなふうにならないわけで、いろいろあるのは事実だけれど、いいよねそんなの、また来週って、だから俺は言いますね

全 卓樹『銀河の片隅で科学夜話』が気になる

BookTuber4名からなるYouTubeチャンネル『本とのコト知りたい?』で紹介されておったのじゃよ

著者の全 卓樹氏は物理学者
永遠、夢とAI、トロッコ問題他22の題材で書かれているそうで(よって全22話である)、文系でもいけるかるめの読み物っぽい
好きな時にさっと開ける感じでしょうか
購入予定に入れておく

服をたくさん買って思ったのは

本って安いなってことで
数年数十年かけて築きあげたものを一冊にまとめるようなことだってあるわけじゃない
それを数百円~数万円程度で読めるってちょっとすさまじいよなって
無料公開とかサブスクだってあるしさ、読まない手は無いと思うやっぱり



フィクションって絵空事で、もちろん現実にあった出来事をベースに書かれたものだってあるんだけれども言葉にした時点でどこまでも虚構でしかないんですよ
だからそう思って言葉の意味だけを拾っていると空虚だなつまんないなってなっちゃったり、いるんじゃないそういう人
でもそれは読みかたとしては全然で、結局意思とか意図なんだよね読みとるべきは
言葉に結ばれる以前の、作者が書きたかったこと、伝えたかったことを読みとらないと本当には読んだことにはならなくて(そうしたものがある場合の話をしている)、それは小説だけじゃなくSNSやらブログやらの投稿も一緒
そこがわからないとまあ…いろいろ起きるんだよな実際、それでなくとも起きるのに

学ばない覚悟

創作における技術技法の話です
小説でも映画でも漫画でも自分ひとりがたのしくやれればいいって人なら感性だけで走ってなんも問題ないんですけど(わたしです)、そうでない場合、理解されたい伝えたいたのしんでもらいたい人はじゃあそれを実現するにはなにをわかっていなくちゃならないかということをわかっていた方がよくて、知識が無いままつづけても見よう見まねでそれなりのものがつくれてしまう一部の人間以外はうまくはいかんかったりします、マジでな



演出とか構成とかコマ割りだってそうだしカメラワーク音響文体構造台詞諸諸ぜんぶ考えるところがあるもので、なんとなくで組みたてるとちぐはぐだったり結果なんだかわからないってありますから、だからある種の割りきりというか、誰がどう思おうが知らん俺はこうする(俺のようにな)ってんじゃなく受け手あっての創作というスタンスで活動する場合は要るでしょうね勉強
上手くいけばいいよ運であろうが宣伝効果であろうがなんだって、でもそうならなかったら? 気持ちがつづかない
つまらなくなるし辛くなるかもしれない、好きだったはずのものが嫌いになるかもしれない
そうなりたくない実際うまくいってねえって人はすげえ作品をつくっている作家がなにを考えてそうした表現をとったのかってことをしっかり学んだほうがええと思います



どっかで書いたと思うけど、その人のありかたって早い段階で固まっちゃったりするもので、自分の生き方見直してじゃあ今日からこう変えようとか思いきってこうしようとか簡単にできないの、めずしくない
でも結構先って読めるものじゃない
このままいってもどうにもならないだろうなとかなったら奇跡だわレヴェルの実力しかないとか知識も経験もない自分とかおなじところをぐるぐる回っているだけの自分とかできることしかしない自分とかいったりきたりで結局成長していない自分とか人のやることにはどうこう言うくせにたいしたことしてない自分とか自分でわかっていたりするものなので、薄薄でも、そういうところを感じているのなら即座に動いたほうがいいですやっぱり、いや別に好きにすればいいんですけれどもそんなの勝手だし
ただ言ってる間に死ぬので人間
あれやってないこれやってないで燻って終わるよりはやりきったほうが気持ちいいよねってことですね

書き忘れたけど

技法を学んだほうがいいといっても既存のテクニックでどうにかなるものをつくっている場合の話で、まだないなにか、知られないなにかを生みだす上では役に立たない可能性もあります

Chouchou『Hello, Astronauts』を聴いてみている

↓はトレーラー
いいですね
Hyper-Euphoria(4:33)とか

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