今日注文した本。メイキングを売るんだね。なにが大事なん:20201224

雑記

奥野 克巳『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』亜紀書房

息苦しいこの世界からの出口は、ある。

片づけコンサルタント「こんまり」のメソッドは、自分とモノとの純粋な対話ではなく、自分自身との対話を目指すものなのではないか。
アニミズムとは、地球や宇宙における存在者のうち、人間だけが必ずしも主人なのではないという考え方だとすれば、自分との対話を目指すのは、人間のことだけしか考えていないという意味で、真のアニミズムとは呼べないのではないか。
本書の出発点は、ここにある。

アニミズムは「原初の人間の心性」として過去のものとされてきた。しかし、そこには、人間の精神を豊かにするヒントが隠されているのではないか。文学、哲学の大胆な解釈とフィールド経験を縦横に織り合わせて、「人間的なるもの」の外へと通じるアニミズムの沃野を探検する。

人間が世界の「主人」をやめた時、動物、モノ、死者との対話がはじまる。

亜紀書房公式サイトより

奥野氏の著書は以前から気になっていたのだが購入ははじめて
人類学の領域はほんの一端を覗いた程度でほぼ知らないといってよい、たのしみ
ちなみにうえに引用した紹介文、ついさっき読んだのだけれども購買意欲にむすびつく要素が一切見当たらないので注文した後でよかったなと
とにかくたのしみにしています



『現代詩手帖2020年 12月号』思潮社
こちらもはじめての購入
読んだこともなかった
特集が現代詩年鑑2020ということで、詩人というものがどういったものかをたしかめる目的で注文した
あと単純に自分が書いたものを業界に放りこむことでなにか起きるのかあるいは起きないのかをたしかめる目的もある
あいかわらず出版社にも出版にも興味はないのだけれどもやってみたいことはやってみるようにしているので…これもそのひとつだね
というわけでぜんはいそげねこ
せいてはことをしそんじねこやけどな

最後で笑っちゃった

絶望的に頭が悪いクリスマスケーキをぶっ潰しキメるだけの動画

過程を販売するのが主流になりつつあるのか

たとえば映画のソフト、DVDやBlu-rayなんかだとメイキングっておまけとして収録されていたもので、過去にはね、いまでもそうしたかたちで売られているのかもしれないのだけれどもそれ単体で収益をあげるといったやりかたではなかったように思う
なのだけれども発信が容易となり、そうだな、イラストレーターや漫画家が作画風景を配信するにしても各種動画サービスを利用することでコンテンツ化が可能になった
そこでおかねにつなげられるようになった
作画だけじゃなく設定をつめるところからすべて配信しているひともひょっとしたらいるかもしれないんだけど、とにかく完成品だけでどうこうという時代じゃなくなってきていて、というか完成品だけではどうにもならない状況があって、舞台とかなんだとか、そもそも人が呼べないとか、死活問題で、だから過程を売る流れになるのは当然といえば当然という感じがある
技術を身につけるまでの道のりかもしれないしネームを完成させるまでの道のりかもしれないし作品にこめたものについて語りつつの作業かもしれないし試行錯誤から実験の一つひとつまであらゆる工程を見せるのかもしれない、とにかくこれまで見えなかったもの、見られなかったものがいまは見えるようになってきていて、おもしろいなと思っている
ただ文章については、小説とかね、については無音でライブ配信しても需要ないよねあれ
喋りながらとかさ、視聴に堪える水準のなにかを用意しないと退屈じゃないですか
よっぽど筆がはやいとかならまだわかるけど、遅遅としてすすまん執筆を延延眺めていられるほどみんな暇じゃないのでは(知らんけど

ただしさなんてないしまちがってもいない

わたしはわたしでだれの尺度でだってはかれやしないだれにもわからないけっして、ということを前提にすべてをつみあげてゆく必要がある、というかそうでなければ有象無象のたわごとに人生ひっかきまわされてめんどうなことになる
俺自身少年期にはそうであったし環境が無い情報が無い材料が無い状況ではそれと気づくことすらむずかしいのだ
だから学ぶ
だから考える
わたしのいまはいつでもこのわたしだけが定めうる、あなたのいまも、あなたはあなたであなたの望むあなたをいまこの瞬間に定めうる、わたしにしかできないあなたにしかできない仕事ですねどの瞬間だってそうだよ、そうしてかたちづくられたあなただからわたしは好きだしゆがむなら、なによりうつくしくしなやかでまっすぐにゆがむぼくたちはまちがいなんかじゃない

人生のあらゆる局面において重要なものをひとつあげるとしたら

ユーモアということになるのだが、わたしはね
真剣だろうが深刻だろうがなんだろうがそうしたものの流れていなければまあ良い状況ってのはつくれません
俺はもうそんなもんつくる気なくって適当にやってますけど対人関係において生じうる軋轢とか厄介ごと諸諸なるべく少なくしたいというのであれば追いつめないこと、自分であれ他人であれ、糾弾も批難も無し、あと安易に否定しないこと、侮蔑も嘲笑もしないこと、腹の立つことはあるでしょう、でもそれそんな重大ごとか? 俺らの人生における重大ごとってのはよくわからん連中のよくわからん言動にあれこれ申し立てることなのか? そんなことのために生きているのだろうかつまらんどうでもいい生産しろ俺は寝る

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