自分自身であることと才能との関係について。廃城。ヴァンパイア:20201228

雑記

ぼくは書き手として謙遜っていっさいするつもりはなくて、でもそれって=傲慢ではないんですよね
たとえば自信ってものは自分が積みかさねてきたぶんしか本来身にはつかなくて、やってもいないことできるかどうかわからないことにまで持つのは過信、結果自滅しかねなかったりする
つくれるものをつくれるときにつくり、そうして生まれたものは生まれたものとしてやったことはやったこととして受け容れる、受け容れたさきでなにをどうするかはその時時で判断する、自作を消すとか創作者あるあるでなんやかんや言われがちなんですけどそんなの作者の勝手でぜんぜんやって問題ない
だって率直さってめちゃくちゃ大事なんですもの
嫌なものを嫌なまま抱えつづけるってしんどいですよ
誰がなんと言おうと関係ないんです、おまえにわたしはわからない、でよい
自身が引きうけられる自身でありつづけられるのならばそれでいい
欺瞞とか、人によって程度の差はあるとは思いますがじわじわ来る・・のでやめたほうが賢明なんです
どこかで動けなくなりますから
だって綻ぶので
わかるでしょう?
手指も脚も、内臓も
遅効性の毒みたいなもんです
きざしがありますから、あ、と思った時点でかえりみて、可能な範囲で生きかたを変えたほうがよいのかもしれません知らんけど
俺自身他者と同等、あるいは他者に対する以上に自分に対して素直でいたいと思っています
いろいろあるんですけどね、結局それがいちばん安定するんじゃないかな心身ともに



昨日もちかいこと書いたっけ? 状況とか環境とかいったものに反応するのってどこまでも簡単で楽なんですよ、楽なうえになにかやったような気分になれる、でもそんなことをくりかえしても不毛だしおなじことをする誰かが周囲に無数にいる、有象無象の仲間入りです(実は楽でもなんでもなく情勢次第では生き地獄が待っていたりする、そんくらい自身を軽んずるダメージはでかいししかもついた傷に気づきづらい厄介です
だれかが通った道をなぞりつづける不毛さって実際ひどいもんじゃないですか、かといって外れ者だってカテゴライズされるんですけれども括られて定義されて、そのほうが安心できるってのがあるんでしょうけどね、ほら、わからないものを厭う人間ってたくさんいて、新しいものを遠ざけるふうなたぐいの、遠ざけるだけならまだしも攻撃をしかけるたぐいの、関わりたいか? 俺は御免だね



話が逸れたたぶん
ぼくの本質は生産で、主に執筆という行為にぼくという存在にとってのそれを見いだしている、だから他者や世界、過去や経験への返答ではなくいまこの瞬間あるこの熱、ひらめきをモニタに灼きつけているわけです(例外もある、あなたとか
模倣の域をでないのであればそのまま真似事ですって言いますよ
でもそうじゃない、そうじゃないことをやっている以上そうじゃないと言うし他に見ないものを創出していると感じればそのまま公言します
無論無から有を生みだす術は持ちませんから見聞きしたもの様様影響を受けていまのこのわたしになっているのでしょう
それでも知ったもののコピーでなく知らないものをどこからか生みだしているわけで、情報のとけあいまじりあって結びついてかたちになる、かたちにすることができる、できているわけで、ただそれだけ、ただそれだけであることが重要で、そこに謙遜とか傲慢といった概念が接続される道理は最初からないんです



さっきも書きましたけど率直であること、わたし自身であること、わたし自身の心のありように呼応し変化できるわたし自身であること(自在であること)、瞬間瞬間のわたし、いまのこのわたしをいつわらぬこと、そうしたものの積みかさねがかたちづくったいまのこのわたしであると認めること、いまのこのわたしでなければけっして踏めない地がある、そのことを忘れないこと
天才の条件って、自分自身であることなんですよ
わたしじゃないなにか、外界でひろったもっともらしいものを並べてどっかの誰かの評価を得るのってたやすくて、ぼくでもきみでもすぐにでもはじめられます、あなたも凡人になれるんです
やりたくないことだって我慢してやってそうして届くなにかもあるでしょうし、それだって人の勝手だからな、好きにすりゃあいい
でもそうして手にしたものってどうしようもなくわたしでしかないわたしと対峙しひょっとしなくったって襤褸雑巾のようになりうる過程を経てでもなおわたし自身であろうとする意志と行為の果てにあるもののまえでは夢幻に等しくて、いや、上述しましたね遅効性の毒って、蝕まれる、破綻すらしうる、そうしたあやうさと隣り合わせで、それもあってぼくはぼくでありつづけるという選択をしたわけです、というよりは自然にそうなった、そうとしかなれなかった



わたしであること、実際リスキーですよ、安全じゃない、やさしくもない、でもだからこそわたしを全部使うことができる、それでなければ騙すしかなくなるなんもかんも
きっと率直であること
我我が持ちうる最大の、そしてなによりも強靭な天賦の才を引きださんとするならば、わたしをいつわることのないわたしである必要が、ありつづける必要があるとぼくは考えます
あなたがあなたでありつづけることはあなたにしかできない、ぼくだっておなじだ
謙遜はしない、傲慢にもならない、わたしはことばつかいし、あとねこ、そして天才です、以上

水中科学研究ステーション『プロテウス』

というとどうしても映画やゲーム的な展開を想像してしまうが深度約18mでの建造ということでまだマシな感じはする、とはいえちょっとこわい

巨大な海底ステーションの建設計画が進行中 | fabcross for エンジニア
国際宇宙ステーション(ISS)の水中バージョンとして構想された大型水中研究ステーションの建設計画が進行中だ。 「PROTEUS」と名付けられた海底居住施設の計画を進めているのは、海洋保全の推進を目的とするNPO、Fabien Cousteau Ocean Learning Center(FCOLC)。創設者のFabie...

わたしはわたしをこえてゆく

ねこなのでそうなる
いま自分にできることってある程度自分でつかめているものじゃない
それ以上となると鍛えたり学んだり背伸びしたりなにかしらの負荷をかける必要があって、だからあれこれやるんだけど、やめちゃうと本当にわかりやすく停滞するというか、停滞からの衰微が来る、それはもうはっきりと
もちろんそうしたところも含めて固有性へと昇華されるみちもある
でも可動域自体は確実に狭まってゆくし錆びついてゆくもので、わかりきっていて、わかりきっているんだけどだからじゃあやりますってのはちがうなって思ってる
自分がどうありたいかどうなりたいかどうしたいかってところがどこまでも大事じゃない
嫌だから仕方なくっておもしろくもなんともない
結局は自身の望むこと、求めることをきちんと知って、もしくは決定して向かう、そういうかたちに落ちつくんかなって
無目的になんでもやってみるのもたのしいのよ
ただどこかで違和を感じたら、それはもう前言なんかさっと撤回して転換したいよね
そういうしたたかさとか身軽さはかならず持っておきたい

ヴァンパイア、に惹かれて覗いてみた

著者と語り、本に出会う体験を 「代官山人文カフェ」仕掛け人がつくる「つながる場」:代官山蔦屋書店|じんぶん堂
#本屋さんの本音・6 本屋さんは静かだ。でも、未知なる本と出会い、心揺れる自分と向き合う、めまぐるしい化学反応が起きている場所だ。そんな本屋さんの担い手である書店員の情熱が浮かび上がるシリーズです。(文:笹川ねこ 写真:斎藤大輔)

また読みたい本が増えてしまった
伊藤 亜紗『手の倫理』とかL.A.ポール『今夜ヴァンパイアになる前に―分析的実存哲学入門―』とか

人が人にさわる/ふれるとき、そこにはどんな交流が生まれるのか。
介助、子育て、教育、性愛、看取りなど、さまざまな関わりの場面で、
コミュニケーションは単なる情報伝達の領域を超えて相互的に豊かに深まる。
ときに侵襲的、一方向的な「さわる」から、意思や衝動の確認、共鳴・信頼を生み出す沃野の通路となる「ふれる」へ。
相手を知るために伸ばされる手は、表面から内部へと浸透しつつ、相手との境界、自分の体の輪郭を曖昧にし、新たな関係を呼び覚ます。
目ではなく触覚が生み出す、人間同士の関係の創造的可能性を探る。

伊藤 亜紗『手の倫理』 講談社BOOK俱楽部公式サイトより引用

進学、就職、転職、結婚、出産など、人生の岐路で大きな決断を迫られたとき、人は合理的に選択することができるのか。何かを選ぶことで、今とはまったく違う自分に変わってしまうかもしれないというのに ——。誰しもが悩む「変容の経験」、その実存的な問いを分析哲学の視点から考える注目作。

L.A.ポール『今夜ヴァンパイアになる前に―分析的実存哲学入門―』 名古屋大学出版会公式サイトより引用
『手の倫理』(伊藤 亜紗):講談社選書メチエ 製品詳細 講談社BOOK倶楽部
人が人にさわる/ふれるとき、そこにはどんな交流が生まれるのか。 介助、子育て、教育、性愛、看取りなど、さまざまな関わりの場面で、 コミュニケーションは単なる情報伝達の領域を超えて相互的に豊かに深まる。 ときに侵襲的、一方向的な「さわる」から、意志や衝動の確認、共鳴・信頼を生み出す沃野の通路となる「ふれる」へ。 相手を知...


伊藤さんは昨日あたり記事に書いた『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』の著者でもあって、完全に偶然なんですけど、おもしろいね
「さわる」と「ふれる」のちがい、わたしは感覚だけでつかんでいたので本があるとかそれだけで上がります気持ちが

パイ インターナショナル『世界の美しい廃城・廃教会』が気になる

この手の写真は検索すればたくさん見つかるんだけど紙の本で持っておきたい人もやっぱりいるんだよね
わたし写真や映像から着想を得ることがほぼ無くって、でも良すぎるとこみあげるものがあるさすがに

世界の美しい廃城・廃教会 | PIE International
幽寂に佇む美しき遺構たち。その在りし日を偲ぶ。

廃(廢)の字って昔からなんとなく好きで

さっきはじめて

廃 字源

で検索してみたんですけど、結果おもしろいブログにたどりつきました
めちゃくちゃたのしいな

1473「廃」はなぜ「すたれる」「やめる」の意味があるのか? : 常用漢字論―白川漢字学説の検証
「廃」正字(旧字体)は「廢」である。白川静『常用字解』「形声。音符は發(発)。発は開戦に先立ってまず弓を放つことをいう。“やめる、すてる”の意味にはもと灋(法のもとの字)を使用した。灋から廌を省略した法が“のり”の意味に用いられるようになって、形声の字の

『Night in the Woods』が無料配布中らしい(29日午前1時まで

わたしこれPS4版買ってちょっとやってそれっきりなんだよね
ゲームで遊ぶこと自体むずかしくなっちゃって気持ち的に、そんで
でもヴィジュアルも空気感も良いんだよ
なによりねこ、大学中退ねこなので

『Night in the Woods』Epic Gamesストアにて24時間限定で無料配布中。人生の苦みが詰まったビターな大学中退ネコADV | AUTOMATON
Epic Gamesストアにて、『Night in the Woods』の無料配布が開始された。アカウントにログインあるいは新規作成して入手すれば、期間終了後も保有しプレイ可能だ。

まず在って飲んだり食べたり寝たりしているのがわたしたちで

書くとか描くとか考えるなんてことはぜんぶその後にある
順序が逆転したり同列になったりするとたぶんバグる、いろいろと
人生において重要なことだとかものだとかって数えるほどしかなくて、無くても問題ないものがほとんどで、でも案外かんたんにわかんなくなっちゃうのかもしれない
大事でもなんでもないものを抱えこんで消耗するとか、いつか振りかえってなんだったんだろうなあれなんて思うようなこと、俺自身あったんじゃないか
たぶんそれってさいしょにしっかり考えておくべきことで、旅程にいくども見直すべきことで、決めてじゃあ一生ぶれません貫きますという姿勢は一見うつくしいのだけれどもそうじゃなくなってなお維持せんとすれば自然いびつさの弥増してゆく、罅が入る
変ってしまえば修正はやはり必要で、変わった自分を認める潔さも必要で、なんだろうね、すっきりとした生きかた、シンプルなありかたとか率直さってそうしたところからあらわれてくるのやもな

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