よい時間を過ごすほどにさびしさの募る感じがあって:20210103

自分にもそうした感情があるのだなと
いや元元ありはするのだけども程度の増したような
甚だしい、とまでは書かないが…ああ、さびしいな、と思う
率直さを旨とする生きかたへと到って、そうしてあらわれでたものであるのかもしれない

自分だけの仕事を見つける方法

とにかくはじめる
つづけてみる
ちがうと思ったらやめる
あたらしいことをはじめる
そのくりかえし
それしかありません(過去にも書いた気がするけれども、実際それしかないので



未知の領域って死ぬまで残りつづけるもので、だから好奇心の持続するかぎりどこまでも歩いてゆけるんですよね
つづけて苦でないこと、たのしいことにひたすら没頭する
多くの人にとってそれがいちばんよい時間の使いかただとぼくは考えています



いまこの時代に生きる者の持つ利点として、既存のルート(たとえば作家なら出版社と関係を持つとか)をたどらずとも発信を通すことで自活の可能性をきりひらくことができる、というものがあるじゃないですか
舗装された道をなぞる退屈さと金銭とを引きかえにする必要や必然性はもはやない



もちろん相応の知識や経験は求められるでしょう
しかし本当に好きでつづけたいこと、どうしてもやりたいことのためならなんの障壁にもなりませんよ
打算や妥協に心を砕いて虚像の私でありつづけた先に待つものも、ひょっとしたらそれなりの充足感をもたらしてくれるのかもしれませんが、でも俺はそんなものは欲しくないし誰にそうあって欲しいとも思っていない



だから動くよねって話です
勉強だってするしやったことのないことはどんどんやる
今日がいちばん良い今日だって断言できます
過去のどの日に比べても(などと書くと前向きとか意識高いとか思われそうですがそもそもが無志向性なうえ意識もとっくに飛んでいます。単純に、そうじゃなさすぎる期間があったさきの今なのです。このまま死んでくのつまらんすぎん?というところが起点なのですね。なのである意味振りきれたところがあって、したくなったらなんでもするし、したくなければなんにもしないという状態です。かんぜんにねこ(?)

作家性? 知らんな

わたしが書き手としてのゆきひらさぎりを維持できているのって悪意や敵意を知るまえの自分を忘れも捨てもしなかったからかもしれない
追いやっちゃうじゃない、上書きしちゃったり、他人がどうだとか社会がどうだとかいったものに振りまわされて変わっていっちゃう
余計なもののどんどん積みあげられて元元あったものがどんどん隠れていく



でもそうしたさきのいまだけがすべてな訳ではないよね人間って
未来はもちろん過去だって地続きでたしかなわたしで、無かったことになんてひとつだってなりはしない
否定したって怒ったって恨んだって呪ったってそんなんは自由で好きにすればいいけれど、でもそうじゃない自分だって選択は可能で、事実俺はそうした人間にならなかったしなりきれもしなかった
今後なるつもりもない



そしてそうじゃない俺でありつづけられたのは自分がだれでどういう人間だったかってことを折折思いだせたからで、人が何を言おうが何をしようが揺るがなかったからで、なんもかんも気に入らんかったからこそそうした在りかたを選べたからで、だからよかったなと
たぶんこの俺じゃなかったらいま書いているようなものは成立していないんですよ



嘘に嘘を重ねるというか、計算づくの書きかたというか、取ってつけたようなきれいさだったり拾った誰かのうつくしさだったり、そうしたものの継いで接いだだけのものになったように思う
だって自分が嘘なんだもん、自分自身が
ずるさを覚えてそんでも行使しないでいられたとは思えないんだもん



たやすいですよ、それっぽく・・・・・書くのって
でも冗談じゃない
ありたいわたしじゃないわたしでだって書けるようなもんなら他の誰だって書けるんだから
まったく冗談じゃないね

他人と自分を比べてしまって

考えこんじゃったり落ちこんじゃったりするって人は余計な情報が入ってこないよう徹底した方がよくて、じゃないと集中できないから
他人にかまけてやるべきこともやりたいこともできないとか最悪でしかない



現実から目を背けてそれで劇的に好転する人生なんてまず無いし、ただただ老いてゆくだけで、それがいいならそれでいい、けどたぶんほとんどの人間は抵抗をおぼえている、どこかで
だから取捨選択ってめちゃくちゃ重要で、どうせだったら価値を感じられるもの、好きになれるものに絞って時間や感情を費やしてゆきたいね

ぼくは他人と競争するつもりって無くて

上手くやっている人間を見てもそれに引っぱられてやらなくていいことをやったり考えなくていいことを考えたりってしないんだよな
自分は自分で理想を追って、自分の武器を最大化してゆく、極限にまで研ぎすませてゆくだけで、その過程がたのしいわけで



おもしろくもないことを延延やりつづけてそんで常態維持とかたぶん無理よ
どっかでバグる
さっさと切りかえてったほうがいい



でも比べて云云があたりまえになっちゃっているとむずかしいのかもしれない
比べられてあたりまえとか、そういう環境ってあるじゃない
家でも学校でも会社でもどこでも
比べてどうこう比べられてどうこうを毎日のようにくりかえす
そういう連中ってたくさんいるし、気づけば仲間入りってこともありえなくはない
いかにそいつらと関わらないかなんだよね、結局は



いちばん確実なのが経済的な自由の獲得で、そしたら相手しなくてよくなるから、つまんない人間ぜんぶ
自分の仕事を見つけることの意義ってのもそこにあって
おもしろいことだけやって成立させたいじゃんやっぱり
となると自分がおもしろいと感じることをいかにお金にしてゆくか、考えることになるし、勉強だってしてゆくことになる
つまり変わらざるを得なくって、その変化だってひょっとしたらどうしようもない今日を彩りもする
なのでそんな感じでやってくのがよいと思っています



ああ、もちろんすでにある職ややり方がぴったり合う可能性だってあるので、そこも含めてたしかめてゆくことになるんですけどね

人気VTuber(YouTuber)の切り抜き動画で収益をあげる人もいればフリー音源のみでつくった作業BGM動画で収益をあげる人もいる

他人がつくったゲームの実況で収益をあげる人もいるし他人がつくった商品やサービスの紹介で収益をあげる人もいる
と書くとずるいと思う人もいるかもしれないんだけど元コンテンツの宣伝・利益になるというので公認されていたりするんだよね(すべてではないし許諾を得てようやく、という場合もある。無断ではじめる人も多いのだろうか



需要があって、もしくは生みだすことができて、生産者をはじめ関係する人間が良い状態になれるのであれば、それはもう立派なコンテンツといえるのでしょう
というかどれか一つでも否定しちゃったらその時点で同じタイプのコンテンツぜんぶ消費できなくなるよな

雨穴さん

OSETIおせてぃ

知識や技術は権威になりうる

イラストの上手い人はイラストを描いて納品して対価を得るだけでなく制作過程やスキルも売ることができてだから強いっていう
YouTube他動画サイトで配信したりTwitterでテクニックを公開したり、単純にフォロワが増えるんですよね有益な情報を発信しつづけていると
当然自分に返ってくるものもあって新しい仕事にもつながったりする



培ったものって元元の目的以外にも使えますから
やり方次第ではあると思うんですけど、実はものすごく役に立ってくれる
たとえばある職業に就いて一人前になるとして、過去にはそこに至るまでに積みかさねたものを責務を全うするためだけに活かすというのが一般的だったかもしれないんですけど、でもいまはネットがあってたやすくシェアできる



経験だけじゃなく状況や状態、作業風景や仕事道具、関連する事象の様様あるいは武器になっていまの自分を助けてくれるかもしれなくて
思考の柔軟であればあるほど道は増えるし拡がりもしてゆくんですね
だからまあなにかしら持っているひとは思いきって出してゆくと過去には無かった展開というものが待っているかもしれません
もちろん上述したとおりやり方次第なところがあるので、闇雲にやってもうまくはゆかないのでしょうけれども

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