シンプルに考える。環境音動画。狩猟の知識を増やしたい:20210104

雑記

生きている以上諸諸思うところはあるのだけれどもそれら枝葉末節にとらわれて本質をみうしなってはならないなと
結局どうなのって話なんですよね
今日は良い日でしたかっていう
昨日は良い日でしたかっていう
どうでした?
明日も良い日になりそうですかっていう話なんですよ



いや明日のことなんかわからないんだけど、こういうことやるから楽しみなんだよねとか、あるじゃないいろいろと
なんだけれども、そうじゃないと
予定なんかないしつまんないしなんにも期待してないと
ストレスばかりで心身ともにろくな状態じゃないんだと、いやだなそれは、まあとにかくとてもじゃないが良いとは言えない、最悪であると
で、そうなると理由とかなんとか考えたくなると思うんですよ
誰が悪いとか何のせいだとか
これがこれでだからしかたがないどうしようもないだとか
実際いろいろありますから
人格に影響を及ぼすレヴェルのくそったれな事象なんて生きているかぎりいくらでも遭遇しますしね



でもじゃあ一人でむにゃむにゃやって、それでぜんぶが解決して好転して最高の今日を迎えられかっていうとそんなことはまあ無いわけで、これまでどおりの生きかたをつづけてなにもかもあるべきとおりだすばらしい人生だなんてこれっぽっちも思えないわけで、だったら思っている場合じゃない
思うばかりでなにもしないのならもうそのまま人生を終えるしかないわけですから
それに、これはマジなんですがむにゃるのってえらい簡単なくせにめちゃくちゃ消耗するんですよ
削れてゆきます、メンタルが
どっかの時点でまともに動けなくなるんです
なのでまったく推せる態度ではない、やめたほうがいい



ですからぼくはひとつの選択として記事に書きだす、蓄積してゆくということをやっているんですね
YouTubeニコニコ等動画配信サービスや音声配信サービス、各種SNSを利用するのもそうだし、なにかしらの作品にしてしまうのもおなじです
自分の思考や妄想、空想、夢でも希望でも愛憎でもかたちにしてしまう
思っておわり、考えておわりではなくコンテンツ化してしまう
つくったコンテンツを中心にさらに展開してゆく



ある種の太太しさが必要になると思います
でも自分のいちばん近くにいるのって結局は自分で、助けてくれる、助けられるのも最終的には自分自身だったりしますから、だったらもうやると決めてしまってさっさと動いたほうが結果解放されるところがある
世界だってひろがってゆく
そして世界がひろがるにつれ、見えなかったものが見えるようになってくる、おなじものでも感じかたが変わってくる
これまでとはちがった場所にたどりつくことができるかもしれないわけです
と、そんな感じなので、あーやだなーつまらんなーとかごにょってる暇があるならなにかしらやって自分自身を楽しませてみてください、あとついでにわたしも楽しませてください
おもしろいことあるかもよ、知らんけど

最近はSound Forestさんの環境音動画をよく再生している

主に就寝時
時間の経過にともなって演出が変化するなど映像にも力を注がれているようです
微妙に癖のある設定が良いんですよね

サブチャンネルも同様で、ホグワーツが舞台の動画もありました

東雲 輝之・外川 英樹監修 山と溪谷社『はじめての狩猟 免許の取り方から痕跡探しまで、知りたいことを完全網羅!』を買った

(リロ氏の影響で)興味があったので
あと1月4日の日替わりセールで2,500円ほどするものが499円になっていたので…買わざるをえなかった…

アフリカや東南アジアの国のなかには、原住民族を除いて狩猟が全面的に禁止されている国もある。一方、アラスカのようにスーパーで売っているライセンスを買えば、外国人でも狩猟を楽しめるような国もある。

『はじめての狩猟 免許の取り方から痕跡探しまで、知りたいことを完全網羅!』p.18

マジかすげえなアラスカ
おおらかというか



1/4程度目を通した
狩猟の解像度がすばらしくあがるのでおすすめ
とはいえ読んですべてがわかるようなものでもありません
実地に体験してはじめて得られる知見がある
いや自分でやる気は無いんだけど

真剣になるほど遊べなくなるのかもしれない

ひとによっては
言葉に関してもそうだよね
なんだろうな、ちゃんと書かなきゃ考えなきゃってなっちゃうというか、伝わるようにわかるように書くべきでふざけてはならないとか文体文法語義だとか、どれも正確でなければならない踏みはずしてはならないみたいな、反面なんとなくとかだいたいでとか、ぼんやりとでも伝わればいいでしょ誤用とかいちいち知らんとかそういうスタンスもあって、俺はどちらでもないんだけど
正確にはどちらでもあってどちらでもない、か



こうじゃなきゃなどというものはなく、感覚なんだよな、あ、これ嫌かもって思ったらその言葉は使わない、その程度のもんです
だから間違った書きかたもわかってすることがあるし、そうでなかったりもする
そもそもぼくが書くような作品はどちらに落っこちても成立しません
偏向はそのまま限界でもある
実際才能なんてたやすく潰せてしまうのです
おまえはまちがっている、世間もそう言ってるって言えば済みますよ、自分自身に対して
退屈きわまりないね

特定の状況下、限定された条件のもとでしか成立しない言い分

動かしようのない事実というものがあるとして、正誤や善悪ってどうとでもくっつけられるんですけれども、思いこみや決めつけでそうでしかないそれ以外ありえないという姿勢をとるのはあやうくて、覆りうる、ひっくりかえるんですよねどこかで
自分と他のだれかとではそもそもの前提がちがっていたり、見聞きしてきたものも捉えかたも共通ではなく別の世界観で生きていたりするので、だから自分自身の考えとおなじレヴェルでそうじゃない考えのほうも突きつめておいたほうがええんやろうなとは思います、時間の許す範囲でですが
ただそうなるとなんにも言えなくなるとか書けなくなるとかいろんな可能性を考えて結果すさまじい文量になってしまうとか諸諸あるので割りきることになりますね、たぶん

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