『ヨーロッパの日記』を注文した. 『文学におけるマニエリスム』.

雑記

ルネサンスから現代まで400年にわたる赤裸な〈生〉の記録を、明確に抽出された基本モチーフによって分類分析し、彷徨するヨーロッパ精神・終わりなき弁証法的人間ドラマを再構築したヨーロッパとヨーロッパ人の本質に迫る体系的な日記人間学。

法政大学出版局公式サイトより引用

グスタフ・ルネ・ホッケは『文学におけるマニエリスム』のみ読んでいて、そちらはとてもよかった
今回の『ヨーロッパの日記』購入にあたってほかの著作も検討したんだけど、1000頁超の大部であることと、あと単純に日記を題材になにを書いているものか関心があったので
わたしが注文したのは旧版の中古
2014年に新装版が出ています

『フィンランド語は猫の言葉』も買った

著者のフィンランド留学にまつわるエッセイらしく、いやフィンランドに特段興味を抱いているわけではないのだがねこだったのでなんとなく
1981年に文化出版局から出版されたのが最初みたい
Kindle版文庫版ともに数百円なんだけど、これもなんとなく紙で頼んだので届くのは数日後

グスタフ・ルネ・ホッケ著 種村季弘訳『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術』

 たんなる芸術、文学、音楽との出会いから生ずるグノーシスは、まさに〈問題的な人間〉に関していうならば、美学的世界像における基本的形態学が不在であったり、あるいは欠乏していたりするならば、人格の心的構造に破壊的作用を及ぼしかねない。問題的なものについての変則美学の構造を知らずして、美的なもののなかに救済を求めるものは危険にさらされる。精神的には、それと知らずに、彼は今日の技術大衆社会の単純化するプロセスに適合するのである。彼はさながら広汎な層の人びとがそのときどきの全体主義的イデオロギーの犠牲となるように、ひとつの〈モード〉の犠牲となる。そればかりではない。彼はその変則的理念を、良心を誠実に検証しつつ、静かなときに深く心から感じようとしているようにはついぞ理解しなくなるのだ。

グスタフ・ルネ・ホッケ著 種村季弘訳『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術Ⅰ』p.34-35

 かくしてひとつの危機の時代において、精神史的洞窟学、体系的文化的洞窟研究をおこなう必然性が生じてくる。私たちはそれによって人眼を欺こうとするのでもなければ、幻滅させようとするのでもない。自己欺瞞という迷宮のなかですくなくとも一個の出口を見出すよすがとなるアリアードネの糸を周旋しようと思うのだ。(中略)この地下層のなかを昇降しに赴く者は自身が冒険の旅に出立することを知っているが、久しい以前から渉猟されたことのない間道のなかで、すでに述べたあの秘密信号に出会わすという──〈精神の神学〉Theologia Cordis〈愛の智慧〉Intelletto d’ Amoreの意味で──希望を抱くことが許されるであろう。同時にしかし、この組織体は、明るみに持ち出されて陽光にあまりにも〈衝撃的な〉反応を起すこともありうる。このときそれは──読者の感受性と判断のなかで──さながら深海魚のようおに、白日の下にさらすや、死んでしまうばかりか一瞬にしてこなごなに砕け去ってしまうかもしれない。

グスタフ・ルネ・ホッケ著 種村季弘訳『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術Ⅰ』p.35-36

 アッチカ風とは古代修辞学にあっては、的確、集中的、簡潔、精巧、本質的なることを意味する。アジア風とはその極端な反対、すなわち過剰、多義性、非本質的なもの、凝りに凝ったくわだてや核心を老獪かつ饒舌に包囲すること、主観的な、遠近法の上で意識的に〈欺瞞的な〉表現を指していう。(中略)古典的=アッチカ風、調和的、保守的。マニエリスム的=アジア風、ヘレニズム的、非調和的、近代的。アッチカ風様式は寛ぎをあたえる規則性の理念であり、アジア風様式は〈ファンタジア〉、すなわち緊張にみちた変則性の理念である。

グスタフ・ルネ・ホッケ著 種村季弘訳『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術Ⅰ』p-37-38

ミメーシスは人間とその運命を円環状の調和において表現し、ファンタスティコンは人間を〈幻想-形象〉において表現する。幻想-芸術家たちは〈自然〉の調整方法を知らずまた必要としない。幻想形象の世界は、すべてのものをすべてのものに変身させ、原本的な集合-状態を軽視することを可能にする。自然の世界が、ではなくて表象の世界こそが芸術の出来事となるのだ。

グスタフ・ルネ・ホッケ著 種村季弘訳『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術Ⅰ』p.42

(前略)ファンタジアを通じて世界の根底が把握されるのである。ファンタジア派は〈神の意志と人間の実行との間の通路〉となる。ミメーシスの神話的秩序世界はしだいに枢軸から逸れるのである。その結果──幻想という特殊-存在の体験のあとで──〈革命的人格の誕生〉が招来される。この新たな意味においてみずから自由であると感じる主体は、〈もはや因襲に身を屈しようともしなければ、もはや手仕事的な意味において共通の死すべき世界と共通の世界像のための礎石をひとつひとつ組み上げようとはしない〉。それは〈おのれ独自の世界〉を要請する。ミメーシスの神話的客観主義は幻想-グノーシスのさしあたりなお神話的である主観主義によって駆逐される。〈あらゆる感覚作用と思考の自己帰一性〉がはじまる。ここからして〈力の新たなる源泉〉が生じるのである。芸術家は、いまやその〈掟を内部から〉引き出す。〈創造的、個人的形姿をまとったある新しい意識〉が生れる。芸術家の表象像、すなわちファンタジアは、〈魂と精神の生活全体の枢軸点と一体〉になる。

グスタフ・ルネ・ホッケ著 種村季弘訳『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術Ⅰ』p.42-43

 おのれの生きている価値の諸体系が危殆に瀕するのを眼のあたりにするとき、人間は概して新しい精神的世界圏を発見しはじめる。新しい世界資料とのこの出会いこそが、あの〈問題的人間〉中の〈発明家〉たるダイダロス、、、、、をして、新たな言語的表現手段、新たな文学的形式へとも喚起せしめ、そしてまさにかかるものへと喚起せしめるのである。文字の芸術、語構成、異論理的結合法、隠喩法などは、そのほんのいくつかの徴候にすぎない。とりわけ言葉の人工性の一極点へと通じているのは〈綺想体コンチェット〉であり、それは近代初頭に特殊なあり方でまずイタリアに興ったが、ここからヨーロッパ全域に伝播する。

グスタフ・ルネ・ホッケ著 種村季弘訳『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術Ⅰ』p.247

こちらも703頁の大著なんだけど読む価値はあって、いや実に、とてもとてもとてもたのしい本なので、異様におもしろい本なので推しておく
こんな値段でいいんですかってくらい

俺んなかの良著の基準ってそもそもの密度とか圧とかってものが高くって、文芸でもありきたりで特異性に欠けた表現がつづくと眠っちまいそうになるんだけど冗長で、だからとにかくそうじゃない、、、、、、ってことが前提で、そういう意味でも推せるよなあって

つっても語りたいことは特にないんだよね
わたしのなかに元元あった気質にかなり近い、そのものではないのだけれども作品に表れたあれやこれやに通じているというか、あーこんなのあったんだっていうか、うん、というわけでぜひ
退屈、、を感じる向きには特にすすめたい

ちなみにぼくが持っているのは現代思潮社版
Ⅰ、Ⅱの二冊にわかれています

エコバッグって使う機会ないんだけど

いちおうつくっとくねこ

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