『世紀末奇芸談』は今日届く. 『VRおじさんの初恋』. 『読書の日記』が良い.

雑記

肉体と精神を駆使した信じがたい至芸の持主たちを、アメリカを代表する最も独創的な奇術師が語る絶倒の書。

両手両足と口を使い、5つの単語を同時に綴る男、どんな質問にも即座に答えられる記憶の達人などを初めとした、時代の話題をさらった「奇芸」の持ち主たちを、資料をもとに紹介する。

リッキー・ジェイ著『世紀末奇芸談』Amazon商品頁より引用

いつ入れたのだかほしい物リストにあった本がお安くなっていたので注文した

先天的な能力であったり磨きあげた技芸であったりいろいろと…ちょっとたのしみ

知ってなにがどうなるわけでもないんだけどね

ただ知らないで済ますのも惜しい感じがするので読んでおきます

だいたい2~3千字が目安だろうか

ここでの一記事の文量の話

そのへんまで重ねてから新しい記事を書くような、見出しで区切ってね

といってもまちまちで、実際はものすごく少なかったり多かったりもして、状況次第というかなんというか

基本Twitter的な運用なんだけど、まとまったものをしっかりやるつもりのない人間にはぴったりかな

ちゃんとやろうとかしなきゃとかこうでなきゃとかこうあるべきとかその手の圧が強いとつづかない場合があるじゃない

日記とか、一日一頁書かなきゃとかはじめに縛りを用意しちゃうと躓きかねなくて

ゆとりがある、書くことが好きでしようがない、書くことが無限にある、書かなきゃ死ぬというのならばともかく、そうでもないかぎりいつ頓挫したって不思議はないわけです

だったらもう一行から投稿してしまっていいんじゃないのっていう

そうしたくてしてるんだったらなんでも、ねえ、誰のためでもない自分のための場であるのならばなおさら、自由なのがいいよねえ

感覚のずれとか上手くできないとか生きづらいとか

逆手に取れば才能でしかないので結局ものの見方とらえかた考えかたの軸とか身を置く場ってものを移行させないかぎりしんどさって解消されないと思う

世界について知るって行為は若年期に受けた周囲(人でも環境でもなんでも)からの洗脳を取りのぞくうえで必要で、そんなつもりなくても偏るんだよかんたんに思考なんてものはだから結果的にそうなっちゃうって話なんだけど、ということは自分もそうなりかねないしそうだしそうなってるよねってことをどこまでもわかってそのうえで偏らないとただただ己の思いこみや決めつけや信仰にしがみついてわけのわからんことをまくしたてる狂人にしかならないしなれないし大概の人間はそうです実際のところ、なので気づけるかどうか、気づいたうえでうまく付きあってゆけるかどうか、制御できるかどうかってところがどこまでも重要になってくる

俺も書いたり喋ったりしてるじゃないここで

異常だなって思いながらやってるんだよ常に

あ、いまおかしいこと言ったな書いたなって掴めるだけ掴みながらやってるの、わからないでやっているとしたら勉強が足りていないんだねそれは、課題です

正常だとか真っ当だとかどうとでも言えちゃうものだってわかってそんでだからなにも言わない書かないって人もいるんだけど賢者って実際そんなもんですよ

頭のいい人(って表現もあえてするんだが)はそもそも黙ってる、隠遁だってしちゃう、かかわるだけ厄介ごとが増えるのが世事なので、退屈なくせにうるせえんだもん

俺はというとそこまで離れてはいなくって、ここにいることでもわかるけどたとえば好きな人とは繋がっていたいですし書いたものを公開するとかね、話すとか、そうしたいと思ったらそうするよねって感じで、でも言及しない踏みこまない領域は確実にあるので、そのへんは慎重かもしれない

なんにせよきちんと選ぶこと、選んでそんで大事にすること、しつづけること、大事でないなら早早に切りすてること、できればはじめから関わらないこと、考えるにせよ判ずるにせよ軸を自己に置いて安易に手放さないこと、委ねないこと、楽そうに見えるけど後後詰まるので息、どのみちそうなら自分で絞めるわ首くらい、くらいには自分自身でいること

ノイズが増すほど脳がやられるし脳がやられると身体もやられるので「はあ?知らん」を基礎に表向きはそうでもない風に立ちまわるくらいがちょうどいいのかもしれない

本気になりたいこと以外すべて適当かつ雑だからな俺なんて

ねこなのでそうなる

慣例に興味が無い

成育環境が生きかたに影響を与えるってあると思うんだけど、その流れのまま歳をかさねるあやうさというのもあって、自分自身が軛になるんだよね実際

私はこういう人間だから周りにそう教えられてきたからみんながそうしていたからこれまでこうだったからこれでうまくいってきたから他のやりかたを知らないからとかいろいろと、自分で自分を枠のなかに押しこめようとする、動かない

その方が安全で安心で平穏で楽に生きられる感じがするから?

現状維持バイアスなんてものもありますし変化を嫌う性質って持っていますから人によってはやっぱり

でももう時代的にそれがむずかしくなりつつあって、よく言われる変化の速さもそうだけど実際コロナなんかで状況が急転する場合もあって、だからそうなったとき動かないのがあたりまえになっていた人間は対応できなかったり反応が遅れたりして、楽に生きるつもりで同じ場所にいたら結果的に余計辛くなる、みたいな

なので新しいもの新しいこと知らないことわからないことを志向する、馴染む習慣を持っておいたほうが身のためなのかもしれない

よくわからないものをよくわからないまま否定してかんたんに片づける向きとか散見するんだけどそれ全部自分に返ってきかねないんだよなあって思うんですよ

いやもちろん本人がかまわないならかまわんし俺も好きにするし皆も好きにすればいいんだけどね

単純に、あの時あれをやっていたらとかつづけていたらとか勉強していたらとか後になって思わないように生きたいねって話だわ

成功も成長もなく、奇跡だって起こらない

といった旨があとがきにあって、事実そうした漫画で実によかった
というわけで暴力とも子著『VRおじさんの初恋』の単行本を読みました

いわゆるロスジェネ世代を切りとった作品らしくなるねこになりつつ追加エピソードまで消化したんだけど、仮想世界におけるつながりと現実におけるつながりとの差異はどうしようもなくあって揺れてだからうつくしいというか、でもそれでもどちらかがほんとうの自分でどちらかはほんとうじゃないなんてことにはならんよなと、やっぱり

たとえばVRに受肉して虚構の私として交流するのとTwitterなんかで現実の延長という意識をつよく保った私として交流するのとではぜんぜんちがうふうで実際そうでもなかったりする

だって言葉の出所、行為の出所としての私がひとつだから

身体も、気分だってちがうんだけれどもちがえない、、、、、んだよね、どこかで、厄介なことに、、、、、、

だからどうしたって感情だって渦巻いて、心だっておなじものではいてくれない、影響をうけてゆく

そうやって生きて我我は死んでゆくしかない

かたちを変えて、世界を変えて、そんでも私は私のままで、あなたはあなたであなたのままで、変わりながら、でも変わらないで通じあってゆきあってすべてを終わらせてゆく、終わってゆく

なんともいいがたい感傷があっておすすめせざるを得ませんね

単行本限定の後日談は頁数が少ないんですけど、俺は読んでよかったと思いました

見届けたい向きは是非

本篇である第二部完結まではネットで読めます

VRおじさんの初恋 その1|暴力とも子|note
VRおじさんの初恋 その1

なにかの拍子でありたい自分であるとかやりたい何かであるとかいったものが見つかった人は運がいいのかもしれない

なので、やれ、とにかく、と思う

ぼくはそれがずっとわからなかった人なので本当にものすごく遠回りしたんだけど、そうしてよくわからんまま積みかさねてきたあれやこれやの経験ってどうとでも言えるもので、無駄とも無駄じゃなかったとも、実際のところは直面する事態への対応力につながっていたり諸諸の判断とかさ、なにかしら役に立ってはいてそういう意味ではなんの価値もないわけではない、のだけれどもクソどうでもいいんですよそんなもん、クソどうでもいいことをクソどうでもいいと考える俺からすればすべては無駄だった、言葉にたどりつくまでのすべての時間はわたしがわたしを顧みてああ良い人生だったと思うための因子にはなり得ない、でもそれって残念とか空しいとかばからしいとか負の感情につながらないの、捉えかたを間違えたひとはおそらくそちらに引っぱられるんだけど、駄目だ、悪い、どうしようもないなんてごちゃごちゃ言っているとね、でもそんなことしたっていまこの瞬間ここにいる俺がクソどうでもいい俺になるだけでしょう退屈ですよね、だからそうはならんやろ、となる、退屈したくないんだよとにかく

というわけで書くということをやっているしひょっとしたらまだなにか俺にとっておもしろいことがあるかもしれないってんで他のこともやっている

いつかも記事にしたが試行回数を増やさないと好きなものやたのしいことやりたいことにぶちあたる確率は低いままでなんなら一生見つからない

そんなもん無くてもかまわん適当に消費して愉快に暮らせればってんなら問題ないんだけど、それじゃ満たされないでもなにをすればいいのかどうすればって人もいるから、そういう連中はとにかく新しいことをはじめる、突きつめる、を繰りかえすしかない

自分がなにに人生を賭けるかってそれすらAIにおすすめされる未来もたぶんあるんだろうね

言動から推察される潜在的欲求というか、こういうものを見ていますね読んでいますね聞いていますね検索していますね発信していますねってとこから察してじゃあこんな生きかたはどうでしょうっていう

ぜんぜん想定していなかった存在すら知らなかった事物が転換点になりうるわけで、そこはおもしろそうだとは思う

おれににたねこがいる

阿久津隆著『読書の日記』を読んでいて思ったのは文が時時わたしがここにばあっと書くときと似た感じになるなあってことで、そこでちょっと笑ってしまったんですけれどもちろんまったくおんなじではないしなんならぜんぜんちがう、なくて、書くひと書けるひとのなかには崩すことにためらいのない者もいるじゃないですか書けないひとだと認識されかねない駄文悪文乱文扱いされかねないったってそんなことまったくもってどうでもよくって最初から、だって好きにやったらこうなったとかそういうのってある種の気安さがあるし気持ちいいんですよだからこそしているわけで、なるわけで、つづけるわけで、すくなくとも俺はそうで、だからひょっとしたら著者もそういうことなのかもしれないなって知らんけど、どうなんでしょうね

とか書いておいてなんだが引用するのはシンプルにおもしろかったところです

 たまに喫煙所に煙草を吸いにいった。蔦屋書店の喫煙所は暗くなるととても暗くなるところがなんとなくいいと思っている。喫煙所なんてまったく光を与える必要のない場所、という扱いがいい。ベンチには三人の男女がおり僕はその横にちょこんと座った。
「本当に好きな人の前だと緊張しちゃって私全然しゃべれなくなるから。緊張すると飲み物の話しかできないから私。気をつけて。超つまらない女だなって。飲み物大丈夫? もう飲みな~って。一時間に一回くらい聞いているらしい」
「へ~BBなんだ。AAとか合わないとか言うけどさ、結局長男とか次男とかいろいろあるじゃん」「四男いいね、四男やばいね、長女だから私。でも四男だとほんとにお母さんになっちゃいそう。あぶない」
 話している調子であるとか話されていることであるとかがとてもよくて、好感しか覚えなかった。すごい面白いですねと口を出したかったがしなかった。
 そのかわりといってはなんだが、面白すぎて、笑いをこらえながら急いでメモを取った。「気をつけて」というのがとてもよかった。他の二人に何を忠告しているのかが不明すぎて、とてもよかった。こういう一言は本当にとてもいい。それにしても、会話の内容がすぐ横で記録されていることにその場で気がついた場合、彼女たちはどんな反応を見せただろうか。存外一緒に楽しくなれたかもしれない。

阿久津隆著『読書の日記』p.44

というわけで推しておく

『世紀末奇芸談』は…ぼちぼち、かな

いま読まなくてもいいやつ、というのが率直な感想

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