『月ノさんのノート』を拾い、『ゲーテとの対話』を買う.

 人は自分を文章に記す時、思っているよりも心が散漫としている状態から、糸を1本1本ほどいていくように順序立てて、無理にでもそれを記していくしかないのかもしれない。人の感情を筋道立てて、嘘もつかずに一本筋で書き示すだなんて、本当に困難なことだ。自分の中の演出家とか、「こんな柔らかいところを人様にむき出しにするな!」みたいな最終防衛ラインと折り合いをつけて、頑張って、真実も演出もひっくるめて、ひとつの物語にさせていくのだろう。思ったよりも泥臭い精神が必要だった。

月ノ美兎『月ノさんのノート』p.106-107

まえがきとあとがきだけ先に読みました(上の引用はあとがきから

特に熱心に活動を追いかけているわけでもなく、気が向いたときたまに視聴する程度の関係(?)なので、実のところ委員長のことはよく知らなかったりするのだけれども、俺には文字の本を衝動的に買ってしまうという習性があってな…というわけで入手した

おもしろそうだし近いうちに目を通すつもりでいる

「マンネリズムは、」とゲーテは言った。「ともすると、まとまろう、まとまろうとして、仕事を少しも愉快にさせないものだ。しかし、真に偉大な才能の人は、作中に至高の幸福を感じるものだ。(中略)より凡庸な人々には、芸術はこういう満足を与えない。彼らは制作中に、ただ仕上げ後の出来栄えだけを念頭においている。こういう世間的な目的と傾向とを持っていては、偉大なものなどできるはずがないよ。」

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ エッカーマン著 上妻純一郎編 亀尾英四郎訳『ゲーテとの対話』古典教養文庫 kindle版

岩波文庫版を所有していたはずなのだが見当たらず、何気なくAmazonで検索してみたところ600円で上中下巻合本のkindle版が見つかったので購入した

訳者がちがう(岩波版は山下肇訳)ので同じ箇所でも受ける印象が異なるのではないか

個人的には岩波版のほうが親しみやすいと思う、まだ新しいし、つっても1968年発行だけど(古典教養文庫版は1922年東京春陽堂発行の『ゲエテとの対話』を元としているのだとか

鶴ヶ谷真一著『月光に書を読む』も届いた

 いくつかの偶然が一すじに連なって物語となるように、現実においても、さまざまの偶然がひと連なりの必然と化すようにみえることがある。さらには、定められた必然にそってすべてが継起するかのように思えてくる。はたして、そうした必然というものがあるのだろうか。あるとするのも、ないと決めるのも、どちらもつまらない。真実は、あるとないとのはざまに、偶然と必然の織りなす微妙な間隙に存在するのだろう。幸田露伴は『運命』冒頭でいう、「世おのづから数といふもの有りや。有りといへば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり」。
 偶然のおもしろさを忘れて、ただ必然だけを信じるとき、反対に、必然を否定して、ただ偶然と戯れるとき、砂金は指の隙間から流れ落ちる。

鶴ヶ谷真一著『月光に書を読む』p.70

冒頭より月の光、蛍、雪明りに依って読む故事のいくつかが示されるのだが、どこで拾ったものなのか、ぼんやりと淵底に浮游していた心象の呼びおこされるふうで感じるところがあった

まだほとんど読めていないのだけれどもそれでもすでにおもしろい

実は予算を決めて本を買うということをこれまでしたことがなかった

ので今月から設けることに
優先度の高いものから確実に手に入れてゆくつもり

そういえば鏡花のことも書いてあった

泉鏡花は原稿執筆のおり、ふと忘れた字があって傍らの夫人に尋ねた。夫人が宙に指でその字を書いてみせると、鏡花は「ああ、そうか」と言ってから、真顔で「早く消せ」と言ったそうである。尊い文字をそのまま書きっぱなしにしておいては、霊ある文字は後でどのような祟りをもたらすかもしれない……。鏡花は言葉(この場合は文字だが)に霊力を認め、言葉のほうでもそれに応えてみせたのだろう。

鶴ヶ谷真一著『月光に書を読む』p.32

文字とのかかわりかたもそれぞれで、正誤などありはしないのだろう
ただこうしたかたちの特異さを知るにつけ、自身のそうでなさ、、、、、になんとなく引け目を感じなくもない、ということをいま思いついて書いてみたのだが、ほんとかよ(ほんとでない

別にそうじゃないからといって特別なものが書けないわけではない
自由であること
自由であるためにこそ枷を負うこと
枷であると知って負ってはじめて限界とそのむこうがわが感ぜられるようになる
越境、、の可能性が生まれる
見えるはずのないなにかが見え、届くはずのないどこだかに届く、そうしたいつかもあるいは
つったって言語の概念知らない人間相手にどう語ったって記したって意味なんて無いんだけど、単純に

ウィリアム・フォークナーが気になっている

先日買った『読書の日記』に『八月の光』からの引用がいくつかあって、なかなかによい文章だったので
ただ頁数が600を超えるらしく、腰を据えて読まねばならんっぽい
あと、ちょっと気になるのが題材の重さ、、で、暗い話を好んで読む人間ではありませんからわたくし
いえ買うんですけどねたぶん

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