タイトル買いしてみた. 『読書の日記』、良い本だなあって.

雑記

注文したのはミシェル・ド・セルトー著 山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』
ポイエティークはポール・ヴァレリーの用語で「制作学」とかそんなような意味らしい
俺はさきにヴァレリーを読むべきですね?

セルトーはフランスの歴史学会においては異端の歴史家であった。つねに、既成の歴史学から排除された民衆の肉声を歴史のエクリチュールに再現しようとした。本書は、アカデミズムに権威づけられた「知」のあり方に対抗するため、民衆の日常的実践の技法、民衆的理性を「知」の新たな技法とし、現代のソフィストたらんとする「思想家」セルトーの代表作である。

国文社公式サイトより引用

元元は1987年に国文社から刊行されたもの
絶版で高値のついていたものがつい先日ちくま学芸文庫から出たのである

読書、歩行、声。それらは分類し解析する近代的知が見落とす、無名の者の戦術である。領域を横断し、秩序に抗う技芸を描く。解説 今村仁司・渡辺優

筑摩書房公式サイトより引用

どうなんだろう
わからないので読んでみます

文章術系の本って小説を書きはじめる前にすこし読んだくらいなんだけど

要点抽出したらめちゃくちゃ薄くなるよなこれ…とか考えながら頁めくってましたね
そんな感じなんで↓に目を通してあとは実践すりゃええんとちゃうかなどと思っている
いわゆるうまい文章、つたわる文章を書きたいのであれば
ぼくもたぶん買うんだけど、ゆきひらさぎりの役には立ちそうにないので、あくまでも他で活用するためかな

『読書の日記』を読みつつ読書の日記を書く日日

 Webをいじりはじめると本当に際限がなくなって、困る。どんどん細かい新しい気になる点が出てくる。そういうことを繰り返していると、むしろ、これまで何も気にしていなかった二年間のほうの感覚が信じられなくなる。どうして気にならなかったんだ。たぶん、気にしたところで自分で改修できると思っていなかったためというか、自分で改修できるようになったからそれならばと気になるのだろうけれど、気になり方と自分で負えるということがこれだけ関係しているというのは、不思議なものだ。
 自分で変えられるとは思っていないからこそ気にならないでいられることがこの世界にはたぶんものすごく無数にあるということでもありそうで、変えられると思うのと変えられるだなんて考えたこともなかったというので、どちらがいい状態なのかはわからない。

阿久津隆著『読書の日記』p.110-111

まったくもってそのとおりだなあと我が身を顧みつつ読んでいたのだが、どうにもならないどうしようもない領域のことってそもそも意識に引っかかりづらいというか意識してどうするという意識が働いて意識しないことになりがちで、だから意識しない、基本的に、しかしそうでもない、ということに気づく、触れてみる実践してみる踏みだす踏みこむことでそうでもないらしいってことがわかってくる、どうにかなりうる、可能性が見える、ことで、芽生える、意識してもいいできることだできるかもしれないという認識が生まれ、意識しはじめる、ではなにかやってみましょう働きかけてみましょうといった気持ちになる、ので、畢竟行動力がぼくらの世界観を変えるし場にとどまるにしたってただそこにじっとしているんじゃなくより多くの言葉を拾いあげる、拾いあげて解釈する、再解釈する、定義する再定義するといった行為の連綿と継続するなか昨日までの自分とはちがった自分になる、かもしれない、しれなくて、そうしたたのしさがある、人生にはね、おそらく、そうしたことの死ぬまでつづける価値があるかどうか、そんなことはわからないしどうだっていいんだけど、おんなじどこかで足踏みしているつもりでただ老いてゆくだけの今日よりはまだいいかなって思わなくもない

『読書の日記』は引用がたくさんあって、引用って本の紹介としては最上のものという捉えかたをぼくはしているのでだからどうしようもなくたくさん読みたくなって買いたくもなって困るのだけれどもたのしくもあって、だって中身だもんね、ねえ世の中にはよい文がたくさんあるよ、実によい、よいではないかと思わせてくれる、引用は、ただ引用ばかりが際立って本文はさっぱりですねえ?みたいなリスクが伴うのやもしれず、といったことを考えると至高の文士(なにと比較してそうという話ではなくものすごくぼんやりとした意味でとてもつよい文士を指す、とてもつよい)であらねばなるまいこのままではいられないといったことも考えるしだからさらにさらにさらに読みたくも買いたくもなって地獄を見ているいままさにな、いや誰に評価されるためじゃなく自分で自分の文を読みかえしてこいつやべえなって思えないのって悲惨でしかないんですよぼくは、ぼくにたいして、ぼくだけの尺度なんだけどこれは、こいつつまんねえなって思ってそれをおもしろがれることってたぶんないじゃないあるかもしれないけどおそらくなさそうだから、だからこいつやべえなねこになりたいなって、ねこなのでそうなるよねって、思うよね

謙遜するのって、社交の場とかそうしたほうがよい関係を築けるとかいろいろ思うところがあってそうするの、すごくよくわかるんだけどだから表には出さなくっていいんだけどあー俺ってやっぱすげえわっていつでも考えていてほしい気持ちがあるすべて創作者には、だってそのほうがたのしいから、つくることが、たのしくなるんだよねこうしなきゃとかこうあるべきとかこれが正しいとかいったところで囚われて逸脱しているかけはなれている届いていないからこれは駄目だ俺は駄目だ私なんてなんてことになってしまうよりもずっと、世界がどうだろうが他人がどうだろうがなんだろうが知ったこっちゃねえわわからないのはおまえがわからない奴だからだよくらいの傲慢さを持っていてほしいわかられたいとか褒められたいとか正当な評価をとか売れたいとか儲けたいとかそうした領域に身を置いているのでなければですけどね、いやまあどうでもいいか他人事だし、でもそれでも書くひとにはああたのしいなって思って書いてもらいたい、知らんけど、そうあってくれたら、わがままだねこれは俺の

上野健爾・新井紀子監修/新井紀子 著『数学は言葉』が気になっている

数学は言葉です。5000年にわたる不変不朽の世界共通の言葉です。
ただ、ものすごくコンパクトに圧縮されているために読み解くのが困難なのです。
まずは、数学語を和文に翻訳してみましょう。
それができたら和文を数学語にしてみましょう。
気がつけば、あなたはきっと論理的に考えられる人になっているはず。
そして、あんなに苦手だった証明問題が苦にならなくなっているはず。

東京都書株式会社公式サイトより引用
東京図書株式会社 math stories 数学は言葉

スケザネさんが推していて、いいですね、欲しい、となった
先日わたしが購入した伊藤亜紗著『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』も紹介されている

コメント

タイトルとURLをコピーしました