言葉で遊べ.

つまるところはそうしたことで、言葉をあつかうということについて、突きつめや思いつめというもののそのまま限界となる感じがある、ありもしないあるべき姿に固執すれば直面するそうでなさに感情の制動もままならない、性情の幅すら画定されてしまう、から、だから遊べ、と思う、遊ぶなら、既存の枠のその外を志向したい、誰に規定されるものでもない、わたしだけのたのしみかたをさぐる必要があるのではないか、そうしたなかで思考の解放されてゆくのやもしれぬ、ただ在って生きるだけでも無数の尺度にさらされる、息のつまるふうなことも数知れずある、が、遊ぶことで逸しうるのなら、だとするならば、遊べ、あそびはあそぶことそのものを目的とするのがやはりたのしくて、たとえばわたしがここでことばあそびをしておるじゃろ、作品ほどではないにせよ好き勝手書いておるわけで、書くのはたのしい、とても、なんだけどそれって書くこと自体が目的で書く以外の目的を極小化しているからたのしいわけで、なにかを伝えるとかわかってもらいたければこんな書きかたはしないわけですよ、読みづらい、なんだこれって話で、つっても語の選択にかんしては遊びはそんなに無いんだけどね、とにかく読みづらくはある、ような気がするわけで、そうしたことをしている、だからたのしいって話です、が、こわばった、とでもいうのか、ある感情とか意思とか意志とかに書かされると駄目、ほんとうに、途端にだめになりますね、なんのたのしみもなくただただ目的を果たさんとするような感覚、つまらないんだよあれは、だから取りはらってなんもなくなったってそれだから書けるんだよなあって書きかたがいい、まずあそぶ、あそびからはじめる、ということが自由さ自在さにつながるんだけど、そのひとの持つものの最大化されるとするとしたら遊びが遊びとして成立するぎりぎりの線を見極めたあとのことで、それ以上そのさきでさえあればなにをしたっていいんじゃないって態度に到達してやっとはじまることなので、じゃあそうすればって思う、と、ここまで書いておいてなんだけど、遊ぼうとして遊ぶのってぜんぜんなんだよね、生活のなかに遊びの時間を確保してさあそこでだけ遊びましょうってのはぼくはもうぜんぜんダメだと思ってて、生活そのもの暮らしそのもの生きて死ぬことそのものがあそびになっているとかあそびの要素を含んでいるとかでないとそれはなんか嘘っぽいんだよなって、自然とそうなる、勝手にそうするって状態がいちばんおもしろいというか、世のなかにいるおもしろい人間もそんなんだったりするじゃない、そこでやるのかとかそれをそうするのかとか想定しないところにどんどん進んじゃうような、だから最初は意識しないとなのかもだけどいつかは崩れてくずしてしまってあらゆることのなかに遊びを見出せるようになるのがよいように思うね



引用の引用は孫引きだが孫引きではなく引用の引用と書きたい



絶え間なく降る雨の間断なく降る雨の降りしきる雨のまにまに陽の降る折の昼、風で時間ははかられ記されゆびさきから膚へと、つらなって、連綿と、日のふたしかに私につづいてゆくものだろうか、つづくもののつづきうるさきの今日であるとして、あるならば、断たれるものの絶たれたもののたたれうる昨日であるとするならば、祈りのことばの配置と架空、瓦解の過程に模られたひずみの永遠づたいに反射する被膜としての天上を描くのか、あなたがそうで、であるならば、私はどうか、どうであるだろうか



有意味と無意味の狭間でふわついた文を書き生涯を終えたい、とこれはハッピーターンを食べながら書いているのですがうまいなひさしぶりだと、あんたもどうだね、もういいとにかく読めという状態でとにかく読むとする、時間は重ねた枚数であって文字数でないとするならば遅遅としてとどまる感すらあります、コーヒーを淹れる、ぼくは普段お米を実店舗で手に入れるのだが今回ついででネットで買った他のものと一緒にということだ、そしたら段ボールから米があらわれたのです、すごい、あたりまえのようにとどくがこれはすごいことで、つまりわたしはありがたい話をしたのです

 夜になるにつれて悄然としていった一日だった。なんとなく悲しいやりきれないような思いを感じながらポテチを食って金麦を飲んでサエールを読んでそれで人生を済ましていった。毎日のように思っていることだけれども仲間以外に回す愛は持ち合わせていないし人はつねに愛するものについて語りそこなう。

阿久津隆著『読書の日記』p.466

サエールとはフアン・ホセ サエールのこと、俺は読んでいない
『パリ・レヴュー・インタヴュー 作家はどうやって小説を書くのか、じっくり聞いてみよう!』も読まれていて、こちらもわたしは読んでおらず、しかし数年前にも気になった本で、だからまた気になって今度はきちんとほしい物リストに放りこむことにした、いつか買うと思う、ただⅠとⅡの二冊があって、揃えるとなるとそれなりのお値段となり、そうまでしてすぐ読みたい気持ちもない以上手に入れるのはおそらく数年後で、だからまた気になってきちんとほしい物リストに放りこもうとしてすでに入っているとAmazonに教えられることになるのかもしれない

パリ・レヴュー・インタヴューⅠ 作家はどうやって小説を書くのか,じっくり聞いてみよう! - 岩波書店
自らの仕事場でくつろぎながら,小説を,人生を,世界を語る作家たち.伝説のインタヴューから精選!



俺には外食の習慣がなく、というか買い出し以外の外出の習慣がほとんどなく、基本的にはおうちにこもっているのだが、だからまだ生きのびているのかもしれないなどと考えなくもない、慎重さと運とを持ちあわせていたならば、ひょっとしたら相当に行動的であってもながく生きていけるものであるのかもしれないのだが、といって別に危険を遠ざけるために家から出ないわけではないのだが、ただ興味が薄いのか、世界が滅んだところでそれはどうでもいいと思って不思議はないくらい世界についてどうでもいいと思っているせいか、どうでもよくないものさえ無事であれば他はどうでもいい、は余計な思考を取りのぞかんとするならばありですが、本気でそう思えるほどにはぼくの脳みそはどうでもよさに支配されてはいないらしく、よく知らんものとかひととかどうぶつであってもよくわからない境遇よいように感ぜられぬ境遇におかれているのを見ると、知ると、言葉にならないまでもそれ、、は渦巻くし、しばらくはとどまって、すこしばかりよいような時間を過ごせなくなる、ので要不要の判断はすばやく、的確に、できるかぎり精密に、確実にくだしたいと考えている、不要なものを遠ざける、持ちこませない、それについては考えない、そしてあと絶対に自分自身のなかに置いておきたいのは要不要だのなんだのでもってどうこういうようなするようなものでない対象、端的に、好きとか大事とか、たまらなくなるようななにかをかならず持ちつづけること、ひとつでも、ふたつでも、あるいはひとりでも、生きるかぎりはもちつづけること、たもつこと、忘れないこと、忘れえぬものとすること、そうであることをよろこぶこと、できればいいと思う



YouTubeにクリップ機能が追加されたことについさっき気づいた、動画の気に入った箇所を5~60秒まで切りとってシェアできるらしい、使うかどうかはわからん

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