なんでもないこととして片づけたい. Canvasとたこぶね.

日常生活におけるなんでもなくないことのすべてを、とそのような考えがあってできるかぎりそのようにしているつもりなのだが、限度はあるとも思っていて、ぼくは長いあいだ大抵のことをわらって済ませてきたのだけれどもそれがいちばんめんどうがすくなかったからなのだけどもここ数年でそうではなくなった、好きな人だけを大事にする、そうでないものは大体で、不快な人間とは即座に縁を切る、を徹底するようになり、やるとわかるがほんとうにはっきりとどこまでも快適に自分の時間を過ごせるようになった、いやマジで限度はある何事も、例外もあるけどさ、例外を除けばやっぱり限度はありますお友達ごっこなんざやってる暇はねえんだよって、思わない? 我慢することに意味があるとか嫌なことでも耐えてがんばればそのうちいいことがあるとか思ったりする? ありませんよ基本あるわけないだろうが、いいことに向かって行動すればひょっとしたら何かあるかもねって話です、運や偶然を待っていたずらに時間を浪費したって老いて死ぬくらいじゃないかな、なにもしない人間には大抵なにもありません、なんの話してたっけ



既存の選択肢から己のありかたをえらぶというやり方でなにがどうなるというのでしょう先のことのわからぬものではありますがおもしろいのはどうありたいかどう生きたいか死にたいかから選んだ道で、無い、となったらじゃあつくろうとか考えた道ではないてすか、知らんけど

もうひとつの驚異の人類史 『大図鑑 コードの秘密』訳者の浜口稔さんに聞く|じんぶん堂
記号、文字、図絵にはじまり、抽象的な概念である法、習慣、規範、規約、さらにはDNAやコンピュータ言語まで、人類はこれらの「コード」を読み解き、生み出し、発展させてきた。豊富な図版や写真を用い、「コード」と人類の軌跡を縦横無人に紹介す...

 ひと目彼女を見て気持が乱れ、平静ではいられなくなった。いま書いている短編でも、どの作品でもいい、彼女を登場させたいと思った。しかし、彼女は外の街路と入口双方に目を配れるようなテーブルを選んで腰を下ろした。きっとだれかを待っているのだろう。で、私は書きつづけた。(中略)ぼくはきみに出会ったんだ、美しい娘よ。きみがだれを待っていようと、これっきりもう二度と会えなかろうと、いまのきみはぼくのものだ、と私は思った。きみはぼくのものだし、パリのすべてがぼくのものだ。そしてぼくを独り占めにしているのは、このノートと鉛筆だ。

アーネスト・ヘミングウェイ著 高見浩訳『移動祝祭日』p.17
映画大好きポンポさん - pixivコミック
マンガ大賞2018にて10位入賞! アニメ化企画も進行中。 pixiv上で瞬く間に50万ビューを突破した話題の作品がジーンピクシブに登場! ポンポさんは敏腕映画プロデューサー。 映画の都ニャリウッドで日夜映画製作に明け暮れていた。 ある日アシスタントの“映画の虫”ジーンはポンポさんから突然、 「この脚本は君に...

『Canvas』というボードゲームに興味がある
局所的に絵の描かれた透明なカードを重ねあわせることで一枚の絵画を完成させるといったルールのようなのだが一人でも遊べるらしくなるねこになっている(得点を競うのか
人気作みたいでいまは買えなさそう、どうなんだろうね
トレーラーもあったけどこれで魅力が伝わるかというと……どうなんだろうね?



上で引用したとおりヘミングウェイの『移動祝祭日』が届いたんだけどさ、俺なんか祝祭日のことしゅくさいび、、、、、、って読んでたっぽくって、いや祭日さいじつ祝祭日しゅくさいじつって言葉も知っていてそのうえでになってるのめちゃくちゃだめなやつだなと思ってちょっとわらってしまったんだけど、なんとなく憶えてそのままに用いてしまっている語ってまだまだあるのかもしれなくて、確認しても忘れちゃってたり、甘いなあ

 中央分離帯の向こう、まぶしい陽の下にひろがる静かな海は大きな布に似ていた。無窮のかなたをもおおいつくす青い布だ。風は海を愛しているようだった。光も影も海とたわむれたがっていた。誰に言うほどのこともない雑念が胸に起こり、すぐさまかすり傷のようななごりに変わった。生まれたての記憶、とわたしは思った。それは真新しすぎて、まだなにが刻まれたのかさえ判別できない、あまりにやわらかな記憶だった。わたしは海をながめつづけた。永遠をめぐる虚薄な気配が、わたしをとり囲んでいるのがわかった。

小津夜景著『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』p.26

たこぶねさんがたいへんによいので漢詩に興味があっても無くてもなんでもいい読めと思った

 鳥の巣の造形は、鳥ごとに、豊かな違いがある。そしてどれも独特で、無造作で、優雅だ。アメリカツリスガラは枝を使ってゆるい土台をこしらえたあと、蜘蛛の糸をめぐらせて苔や地衣を固定し、羽、花、葉などを飾りつける。カワリハタオリは夫婦で力を合わせて、内側と外側から同時にもじゃもじゃの細い草を編み上げ、ラッパ型の口がついた蒸留フラスコ型の巣ができあがると、それを垂れ下がった枝にぶらさげる。オニアジサシは地面に穴を掘り、石、海藻、貝殻、小さな流木などを寄せ集めて海辺にまう。近所の砂原でこれを見たときは、こんな無防備な巣がこの世にあるのかと目をみはった。
 ごくまれに、巣の中には卵ではなく、死んでしまった雛の骨がある。ゆりかごから墓場までという合い言葉が英語にあるけれど、とべなかった雛は、生まれた巣がそのまま棺となるのだ。

小津夜景著『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』p.54

引用しても不自然にならない箇所をのみ引用しているのだがそれだとよさの半分も伝わらないので通して読んでもらいたくあって、流れがあるし前後のつながりとかね、いやこれはよいですよ



みることをきくことをやめなければ感じることをやめなければわたしたちはいる世界暮らす世界について知りつづけるし解釈を新たにするし思考をめぐらせるわかるわかりそこねるわかるような気がするといったことを繰りかえす、本を読むとか、言葉を通してこのわたし、ではない私をのぞきこむ、くりかえす、そのなかで、変化とか成長とか不粋でつまらない語だと感じるしそうじゃないって思っていてだからそのときどきにちがったわたしにあなたにわたしたちはなっているなってゆくと書くのだけれどもそうなるし、そうしたたのしさはそうしたものであると感ぜられてようやく通ずるものとも考えるからわたしを捉えるわたし、観察する、眺めるふうなわたし、ちがったわたしとちがうまえのわたしを忘れないで記すわたしとか、捨てないでおいておきたい

微視的であることによって生活にたのしみを見出すということのもちろんすばらしくよい体験であるのだけれども巨視的に観ずるとなるとまたちがっていて、もう物心ついてからずっとそうなの日常そのものの退屈さがずっとまとわりついていて、世界観って成育環境によって影響されるところのおおいにあるわけじゃないですか、あまりにも平坦で色の無いところにいたせいか自分を囲んだとりどりのその一つひとつがうすぼんやりと曖昧で、存在に気づかない、興味を抱かない能力ばかりが伸びてしまったところがあって、鈍いんよ端的にいって、だから歳をかさねてから取りもどしてゆかなければならなかった、でも10年とか20年のさきにこうした世界が実現されるとしたらそれは助かるよなと、わたしだけでなく、いまそうした狭さや遠さ、暗さや冷たさに閉塞する人間にとっては、狭さや遠さや暗さや冷たさのさきにまた別の狭さや遠さや暗さや冷たさが待つことは現実から逃げたさきにまた別の現実が待つことと同様避けがたいのだけれども、それでもそれとわかって踏みいる踏みこむのであればたいへんな充実にいたりうる、望むまでもなく変わる変わっていってしまう場合もあるんだけどさ、なんにしたってぼくは歓迎しますよ、頭が古かろうが不勉強だろうが巻きこまれるくらいの変化がちょうどいいんです、もっと個人的で最小の関係をのみ維持して自在であれたらいいなってずっと思っていたしいまだってそのために動いているけどテクノロジの進歩がその後押しをしてくれるのなら非常にありがたいですね

コメント

タイトルとURLをコピーしました