毎日観ているリロ氏の動画. ポカリスエットのCM. 『取材・執筆・推敲』、よい.

雑記

この回は特によかった好き

身のまわりの環境とか状況とかいったものに対して思うところがあるのは当然で、なんにもないってふりしていたってそんなのはストレスでしかないし蓄積するとろくなことにならない実際、なんやかんや踏まえたうえで結果的にいまをどう生きるのかということが大切になってくる、見たくない知りたくない関わりたくないもの消えてほしいものだってひょっとしたらあるのかもしれないけれども思うばかりにとどめて最善を選択してゆくしかない、なにかを変えたいならそのつもりで、自分を変えたいならそのつもりで、そうでなければそうでないなりに動くしかないしそうすればよいし見たくないものを見なくてすむように知りたくないことを知らずにすむように関わりたくないものとは関わらず消えてほしいものについてはまあ好きにしなさいよ、とにかく生きるしかない、死ぬまでは、別になにもしなくったって好き勝手言ったって構やしないそんなのは自由でしょう好きにすればいい、が、なにもしないならなにも変わらない可能性が極めて高いわけで、ただただ老いてゆく、不満を抱えたまま、不安に苛まれたまま、怒りを抱えたまま、どうにもならない、なれないままで、どうにかしたければいま変わるしかない、いま選ぶしかない、単純に、そういうことのくりかえしの先にどうにかしたなりの今日があるかもしれない

鍛えないと急速に老いる印象がある、人間って動物なので、動くのが自然というか怠け癖がつくと後後くるんやろうなと、といっても鍛えさえすればいいというものでもなくよく眠るとか食べすぎないとかいろいろあってなんかそのへん雑にしてきたらしい人がしんどいしんどい言ってるの見てると自分自身と向きあうって大事ねって思わなくもない、関係ないけど

ポカリスエットさんのCMがよかった、こうした効果のあたりまえに体感できる時代が来てくれたらよいのだがARグラス越しにでも、メイキングもよかった、それはそれとしていつからか百合がどうとかまったくもってどうでもよくなっていや元元どうでもよかったのだがわざわざ反応する価値無いなもう、とふと思いまして、なんもかんもうるせえっていう書き手としての姿勢が消費する者としての姿勢にも影響を与えはじめているような、とりたててなんと言うものでもなかったのだからそもそもが、という着地点にようやっと至ったというよりは単純にこれまでずっと考えていなかった考えなさすぎたことについてちょっと考えてみたらだからなにで終わったって話、だからなに



雑誌『tattva』は明日届く予定、今日は『取材・執筆・推敲』を読む、月毎の購入本をまとめる記事をつくってみたい気もしていて、なんとなくなんだけど、やるかどうかはわからないまだ、『取材・執筆・推敲』500頁弱あるが紙面に余白が多く読みやすい、たのしい

誰かと思ったら西沢幸奏さんだった、EXiNA



Oculus Quest, Oculus Quest2で『AniCast Maker』というアプリが発売予定なんだけどVR空間内で短尺アニメが制作できるらしい、4月16日、もうすぐだな

演出、なんとなくやってそれっぽくなるってこともあるかもしれないんだけど基本的には自分が好きな作品の模倣から入ったほうが早くわかる、、、だろうなって思った、例外はもちろんあるんだけど創作物って基本的にはなにかしらの意図があってそうしたかたちになっているものなので真似ながらこれはこういうことを伝えるためにこんなふうにしたのかしらという読みとりのなか成長の可能性も生まれる、真似から入り、おなじことを伝えるためにでも別のやり方もあるんじゃねえかといろいろやってゆくなかその先というものが見えてくる、最大15秒の映像がつくれるってあって15秒って短く感じると思うんだけどむしろその制限がかえって練習訓練の質を向上させるだろうしいざ作ってみたとして何分何十分もあるものよりかはずっと触れやすい作品にもなりうるでしょうから、よいですね、SNSにアップロードできるってこともつまりはそういうことよね、買おうかな



『取材・執筆・推敲』まだ30頁ほどしか読んでいないのだが伝える文を書く書きたい人間は手にとったほうがよい、本質を掴んで初めて見えてくるものってあるじゃないですか表面眺めて半端に真似してぺらぺらやってたって遠回りとか迷子みたくなってああこれをもっとはやく学んでいればわかっていたらって瞬間がいずれやってくる、ことになりかねない、そうならんために勉強するのであって、まず何を学ばなければならないかから学ぶ必要があるわけで、なのでそれをしないというのであればそこがおまえの限界な、で終わってしまいかねない、と書きつつ俺はゆきひらさぎりとしての文章に関しては伝えるとか知らん好きにやるわなのでただただ感覚でことばを並べている己の美学に従って、だってそれがいちばんおもしろい書き方だから、他は無い、他は知らん、評価がほしい上手くやりたい成立させたい向きは読むときっと得るものがあるでしょう、おすすめ

 取材者にとっての「世界」とは、開かれた一冊の本である。
 取材者は、一冊の本を読むように「人」を読み、そのことばを読まなければならない。
 取材者は、一冊の本を読むように「コト」を読み、その奥底まで読まなければならない。
 取材者は、一冊の本を読むように「世のなか」を読み、その流れを読まなければならない。
 科学的、数学的、客観的な正解を求めて「解く」のではない。あくまでも取材者個人の主観で世界を「読む」。ひたすら読む。
 活字を読み、映像を読み、広告を読み、音楽を読み、サービスを読み、街や季節の移り変わりを読み、人びとの声を読んでいく。並木道を歩きながら、電車に揺られながら、家族や友人と語らいながら、多くのことを感じ、問いを立て、自分のことばで答えを出していく。それが取材であり、読むということだ。取材者であるかぎりライターは、書いていない時間のすべてを「読むこと=取材」に費やさなければならない。観察し、考えることに費やさなければならない。

 ぼくはこれまで、さまざまな尊敬する書き手たちと出会い、ときに取材者として耳を傾け、多くのことを語り合ってきた。そこから確信を持って言えることが、ひとつある。
 すぐれた書き手たちはひとりの例外もなく、すぐれた取材者である。日常のなかに取材が溶け込んでいる。いわゆる読書家も多いのだが、たとえ活字に触れていないときでも、なにかを読んでいる。「本ではないもの」への読書習慣を、持っている。小説家、映画監督、舞台作家、エッセイスト、コピーライター、そしてライターと、ジャンルは違えどその原則は変わらない。
(中略)
 ぼくは本書を、「読むこと」の話からはじめたい。それが取材の第一歩であり、「書くこと」の大前提だからだ。よき書き手であるためにはまず、よき読者であらねばならない。この順番が入れ替わることはぜったいにないと、断言しておこう。

古賀史健著『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』(ダイヤモンド社)p.50-52
書く人、コンテンツをつくる人がおさえるべき「原理原則」が、この本にはある
大ベストセラー『嫌われる勇気』の著者・古賀史健氏と、担当編集者・柿内芳文氏。2人が再びタッグを組んだ『取材・執筆・推敲』がついに発売! 全10章、21万字、約500ページをかけた「書く人の教科書」「文章本の決定版」はいかにして生まれたのか? その制作秘話をお届けします!

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