趣味は読書って言えるようになった気がする. 川尻こだま先生のTwitter漫画がKindleで読めるぞ.

ぼくはそもそもの読書量がすくなく読まない日だって過去たくさんあったのだが最近そうではなくなった、とても毎日読む、とても毎日読むという表現は読まないひと特有の下手な表現に見えるかもしれないがそれはとてもどうでもよく、たのしく読んでたのしく書くということをぼくはしていたいだけなのでしているその結果生まれたものが最近のSpherulesであり開設からずっとわからないままつづけてきたものの少しずつ定まって見えてきた、つづけるなかでわかってくる、暗中模索の過程でなんとなく感ぜられてくるそうしたさ、、、、、みたいなものがある、あって、それが固まってきたということなのだと思う、本、読みませんか、たのしいよ、と俺は言いました、読みたいものを読む、実益を兼ねた趣味としてもいいでしょうしそんなもん関係なく手当たり次第もいいでしょう、知りたいを満たす、読みたいを満たせ、BlogなりTwitterなりYouTubeなりで発信してもいい、Instagramでも各種Social系のなんだ、なんかアプリとかでもいい、ついでに収益化を目指してもただただ自由にやるのもいい、推奨しないのはなんにもしないで不平不満をたれながすとか頭をぐるぐるさせるとか不安になる攻撃的になる撒き散らすとかそんなん、悪意は捨てろ、いや人の勝手だがつまらんものはつまらんで感想としてそれでいい、ただ読めない自分理解できない自分でしかない可能性もあって、そうした自己に目が向いているかどうか、制作量もそのための思考も行動も作者に及ばないレヴェルでしかない小物がどうこう言うってのはそれなりに惨めだし覚悟だって要るってこともわかっておきたい、評価をするってのはそもそもが上からだってのは本当なのでしないのもありで、わからないで済ませてあれこれ思うだけにしておくのもいい、吸いあげるだけ吸いあげて敬意も払わないなんてそんなんであってもなにもしないよりはいい、なんでもいい、なんでもいいのか、まあいいとにかく動け、時間の許すかぎり、そのほうがたぶんおもしろいしそうでないならおまえの人生は変わらない、俺の人生もだ、そういうものだほとんどの場合



ここ数日チョコレートを食べつづけているちょっとずつ、たまに妙に口にしたくなることがあって買うんだけどそんならまとめてそれなりの量を常備しておけばよくないかということでそういうこととなった、高カカオ系(75%が高カカオと呼べるのかは知らないそう書いてはあるが)で味はそれなり、というかそもそもそんなに食べるものでもなくよくわからないのでチョコレート味がするとだけ、まずくはぜんぜんない、のだけれども案外量はいけないもので、いやいく気も無いのだけれども10粒も食べれば満足してしまう、だから相当持つ、保存への配慮が要る季節にもよるが、だって1.5kgもあるんだもん

社会的にどうとか経済的にとか自分以外のなにかしらとの関係のなかで地位とかなんとか定まって得た安定なんてものはそこが揺らぐだけで吹っ飛ぶしそもそもがぐらつくもので常に気が休まらない、つまるところそうした価値しかありえなく、ぼくには塵芥以下の存在でしかないのでそれとわかってつきあってゆくのが平和であろう、結局のところその手のあれこれなんもかんも無くしてそんでも揺らがないわたしというものをこそつくりあげる価値があって把持する価値があって誰がどうであろうがなんと言おうがなにがどう変わろうがどうしようがわたしがわたしと捉えるわたしでありつづけるありつづけられるわたしであることで満ちてゆく充溢するもののかならずあって、だからそうしたものをこそ失わないでいること、わたし自身でありつづけること、そのために生きること、いろいろやってみて思うのはいちばん底にあるもの、基礎とか土台といったものをつくりあげるのがなにより大切でそこが雑だと以降がずっとぼんやりしてぜんぜんだなってことですかね、最初になにを知るべきか、為すべきか、いつでもいくらでも振りかえって忘れないでいるべきことってたぶんあるね



作品における文章、一行一行が奇跡みたいに成立していてほしいしそうでないなら書く価値は無い、俺の場合は、というところに向かっている、でなきゃ退屈するし自分がそいつを実現できるなにかを持っていることを他でもないわたし自身が知っているのでじゃあやりましょうと、やりますと、そういったことをここに書く表明する心理について考えつつ自作を読みかえすなどしている、spherulesはpvが0になろうとつづける意味があって誰に読まれなくとも俺は書きつづける、断言する、才能は使うものでぜんぶ、出し惜しみはするものでなく一切、でないならば、書く意味がどこにあるのかと、どっかのだれかにどうにかできる程度のものをかたちにするため一秒だって使う理由があるのかと、あるわけないだろうが

他を気にして能力を発揮できないとか創作において常態化しているところあるかもしれんね人によっては、読まれる読ませる読まれたい認められたい評価されたい好かれたい愛されたいみんなはこうしてる誰かはこれが正しいと言っているこれでないとどうにもならないならなかったこうすればうまくいくいろいろつくるという行為そのものとはまるで関係のないところのものの枷となってつかなくていい嘘をつきはじめるようなところがあるのかもしれない、いやそんなん好きにすればいいんだけど書くとかなんとかいったそのものが嫌になるとかつまらなくなるとか全然だめなので、そこがぐらつくくらいならなーんも気にしないで好きにやれば? そのほうがおもしろいものになるんじゃない、すくなくとも俺はそうやってつくられたあんたでしかないなにかのほうが阿ってそれっぽいだけのものより読みたいと思えるね、くらいの無責任なことを考えついたがほんとうにそう思っているかどうかはわからん、他者に対して、これは俺の個人的な在りかたでしかない

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自意識って大抵は邪魔者扱いで実際抑えたり謙遜したりとにかくそうじゃないふうに装ったほうが軋轢だって避けられてある意味平穏に暮らせるんだけど自分で自分を騙すには限界もあってたぶん長い目で見るとしんどくなる、だったら開きなおって推進剤として活用すれば結果的に自分を助けてくれる強力な武器にもなるんじゃないって思った、うまく使う、うまくつきあうのがよかろう知らんけど



抑制のきいた文章よりわかるより伝わる表現というのはそうする目的や理由があってはじめて志向されるもので無いならなんでもありとなる

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