読まれることを意識するならば.

他の書き手との差異についての意識も当然求められることになると思う、ある対象に関して誰かとおんなじことをおんなじように書いていたってそんなん見向きもされないわけで、もちろん読み手がその誰かのことを知らなければこっちをオリジナルだと捉えてもらえるのだけれどもそこに期待してわかっておんなじように書くのはちょっとあんまりじゃないって気持ちがあって、だからなにかについて書く際は頭を使ったほうがよいなってさっき思った、のでそうする、結果読みづらさだけが増すんだけどわたしの場合、いやそもそもこうして一文でざあっと書くのって読む側にはどうなんって思わなくもないわたしは好きだけどそうじゃない人もいるだろうしかといって箇条書きとか短く無駄のない文に物足りなさを感じる向きもいるのだろうから畢竟正解なんてないよねってところにゆきつくのだけれども工夫はそれぞれあってもよくて、ただわたしは当面これかな、思考をそのまま落としこむような感じでほぼ修正要らないしする気もないんだけどそんでもそれなりに読めるから、自分では、あくまでも自分ではね、なのでこの書きかたでしばらくはやってゆく、前にも書いたけどこれは阿久津隆著『読書の日記』の影響です、たのしい本なのでおすすめ、既存のなにかをどう書くか、についての具体案はなんとなく考えてゆくつもり、視点を変えてどうこうとかほら、オズボーンのチェックリストとかあるからそういうの使ってもよいね、とにかく試すこと、いつものわたしでいないこと



マイクが届いていろいろ試していたらそれだけで相当に時間を使ってしまってしかも得たものはあまり無かった、けどある程度クリアな音声を録れるようになったのでよしとする、YouTubeは今日か明日か……わかんないけどなにかしらしゃべりたいと思っていますそれはそれとして新しいことをはじめるとかちがったやり方に切りかえるとかそうやって自分というものをつくりかえてゆく作業はたのしいんじゃないって、昨日までの私と変わらない私で今日という日を過ごしてそのくりかえしのさきの今日がこの今日だとしたらなんにも変わらないで老いるだけの人生になるじゃない、安定っておんなじ私のくりかえしで手にはいるものじゃなかったりするじゃないですかそういう時期もあったとは思うんですけど進歩の加速しつつある現代に時代遅れの人生観なんか抱えこんでなに言ったってどうしようもないわけで、おんなじところでおんなじことしておんなじおんなじおんなじってわあわあやっていたって人間ってそもそも常時死に向かっているうえ状況とか環境だって不変じゃないわけで、その時時に最適な在りかたを選んでゆかないとどこかがずれてくる確実に、じわじわ、かもしれないし急激に、かもしれないし、だから常日頃から適応力対応力みたいなものを磨いて身につけてゆかないとそうした場合にしんどさみたいなものののしかかってきた場合に危うくなるんじゃない、あとほら先を読んだり見越して動いたりとか? なので変わることに慣れておくのが最低限のラインを保つうえで実は大事なんじゃないかしら知らんけどって、うん、知らんけどね



いや実際古い情報とか常識とか価値観から抜けだせないってあるのよ大抵は世代意識がつよい人がそうなるんだけど自分のときはこうだったとか十代で完結しちゃって勉強したってそこから動かないでもの言ってるみたいな、踏みこまないで踏みださないで安全にって気持ちはわかるけどそれじゃなんにもしないのと一緒じゃない、後悔しない? って思わなくもない、勝手なんだけどねそんなん、俺はそれは無理



いま気になっている本はこの三冊


『活動写真弁史 映画に魂を吹き込む人びと』はスケザネさんが紹介していたのだけれども単純におもしろそう、活動弁士ってまだある職なんだね


『民俗地名語彙事典』はそのまま地名に纏わる情報の諸諸が記されているようでたまに手にとって部分的に読んでたのしいってなる予感がある買ったとしたら、事典ということもあって
『マルジナリアでつかまえて』はマルジナリア(本の余白(マージン)への書きこみ)を取りあげた本らしく類書に古沢和宏著『痕跡本のすすめ』がある、つっても未読なのでまたちょっとちがう感じかもしれないんだけどどちらにも興味があるよ、ちなみにわたしは本に書きこみはしませんしてみた時期もあったがどうもちがったみたい

己のうちにもやもやとしたものがあるならば書け、ということのよく言われますねわたしもそれがよいと思っていますけれどもやっていますかどうなの、書きだして気づく、書きだして考える、ひたすら書く、とにかく書く、なにも出なくなるまで書きつづけるといったことをわたしはやっていますおもいもよらないなにかが見られることもあるので、書きだしたことば同士をつなぎあわせて新しいアイディアをつくるのもおもしろいでしょうでもインプットしないとたいしたことは書けません、ただなあ語彙が多ければよいという話でもなくそれぞれの解像度を高める必要があってたんに知っているだけでなく手にとって扱う身につける利用するなどそうしたわかりかたなじみかたがものをいうことになる、なのでただ読んで書いてわかりました終わりではなく可能な範囲で踏みいるようにしている、もっとしたいと思っている、俺に足りなかったのはそれなので

馴染みの分野好きな分野を突きつめるってそれ自体たのしいしすばらしいんだけどつくらないではいられない人種が満足するには不十分で、なぜなら世界をつくるという行為にあたって特に重要なのが主となる分野とは異なる分野の情報を取りこむことだからでまだ無い組みあわせや融合によって生じる反応だからで好きだけで走って他を見ないといざなにか創造したい段になってゆきづまる可能性が高い実際、似たようなもののなかに埋もれることになりかねないし俺みたく競争する気も比較する気もない自分の才能を引きずりだすのが最高の快楽って人種にはしょうもなさすぎるんですよだって他の誰でもない俺自身にもぐりこんでえぐりだしてなにかやってどうやって他とかぶるっていうのおんなし言語を使っていようが君らに俺のように書くことなどできないぜってなるでしょう当然ならないでどうする話が脱線しましたいや上手いだけでも精度の高いだけでも価値は認められうるし戦えるかもしれないのだけれどもそれしかできないわかりませんだと困る局面打開の難しい状況も生じうるので幅を持つとよいねって話です、シンプルにそのほうがおもしろいし、拡がってくのが自分でもよくわかると思う、まだまだできることがあるとかこんなことできたんだとかこんなんあるのかとか地平の果てとか到達しないでやっていけるのよマジで、創作における限界とかやりつくしたってのはその人が立ちどまっただけの話なので勉強しつづけていたら死ぬまでありえません、一生遊べるってつよくない? なので自分でも掴みきれない予測不可能な未来に期待したいなら異分野の勉強めちゃくちゃしてください、俺もそうする

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