朝色、日のごとの差異の放縦、陰翳.

雑記

 今は夕方で僕は朝からバーボンを何杯か気つけのために飲んだのがいけなかったのかへべれけに酔っ払いながら労働している。頭がクラクラしてオーダーされたものがなんなのかもまるで理解できないが、おそらくこういうことだろうという推察のもとに作り、お出ししている、運んでいる際によろけてこぼしてしまって作り直す事案が立て続けに発生している。ただ頭が朦朧としているため作り直されたものがこぼれたものと同じものなのかは、定かではない。確認しようと思っても確認すること自体を忘れる。聞いてみたところでお客さんの声ももはやくぐもってしか聞こえない。僕と世界のあいだに一枚のわりと厚い膜があるようなそんな感覚になっている。先ほどからソファに横になって──横といっても完全に寝そべるわけではないが──次の司令なり、来客なりを待っている。眠りそうだ。今もまったくぐったりとそういう姿勢でうつらうつらしている。しかしそれは本当だろうか。「まったくぐったりとそういう姿勢でうつらうつらしてい」ながら、これをタイピングしているとでもいうのか? 僕はなにが真実でなにが間違いなのか、わからないままに生きているということだろうか。たとえ今のように泥酔状態になかったとしても、なにが真実でなにが間違いなのか、それは誰にもわからないはずだったしあるいは記憶は事実よりも真実の領域にあるとそう言ったのは、いつのことだったか、そしてそれを言ったのは誰だったか、忘れたわけではまるでなかったし光が、町全体に注いで人々は立ち止まるとみな一様にその方向を見上げた。それはなんだかアンゲロプロスの映画のなかみたいな場面で、時間は止まっていない、止まることはない、そう知ってはいてもにわかには信じきれない、そんなうつくしい場面だった。あたたかい、やさしい。あたたかい、やさしい。そういうものを食べたい。本当に失礼な人間がこの世界には多いなと思う。うんざりする。僕にとって都合のいい人間だけがいる世界になったらうんざりしないそのかわりに大切なものも併せて失う。だろうか。

阿久津隆著『読書の日記』p.649-650
PSYQUI – Fly to the moon (feat. 中村さんそ)



時間のつかいかたなんてものに正誤もなんもありはせんしたのしいからおもしろいからじゃあそれが合ってるとかでもまったくないのわたしもあなたも大体でなんとなく転がっていずれは微塵も残らないのがよいのでした、そのように思えるのがよいのであって知らねえよなんもかんもってちゃんと思えるからこそまだ終わらないでつづけていられるところはきっとあってだから今日も生きていられる、明日は知らない、知らねえってよなんもかんもって言ってたよって世界に伝える機能のありましたならばってぼくらは原稿用紙に書きつける終末でありたいあれましたならば、人の振り見て我が振り…的な態度は役に立つそれっぽさの獲得とか維持調整の役にたつのでそうやって人間のふりをしてまっとうなふりをして凡人のふりをしてなんでもなさでもってそうでなさを八つ裂きに、血祭りに? すればいいんじゃないですかそれがきみらの限界なんだからさいはて、わたしはそこにはいられないいられなかったなんにも無駄ってどっかで思っていますか思えて? 無駄ってことがどういうことかなんて考えなくても使える言葉ってそういうものだから無駄、無駄無駄無意味、無価値、なんにもなんないなんらかでありたいってどっかできちんと思えていられますかあなた死なないでわたしが死なないようにそれだっていつまでもってわけにはゆかないのだけどいつだかに死ぬからだから、それまでは死なないでいてほしいそういうことじゃない愛してるとか知らない? 時間はない、時間はある? 時間の縮結されて記憶なんて弓形、曖昧、な境界線上を歩くしかないのつながないでよかった手なんて指にはつめさきがあってきれいだってわたしたちはいつまでだってひろいあげてそんなんでだってきっとゆける、そう信じてる



無名であるから軽んずるとか商業ベースでないからたいしたことない系の判断ってよくあって実際そんなもんなんだけどいくらかの人間ってでもなかにはおのれのうちのなんらかに依って公正に、ということのできる者もまじっていてそういうとき「このひと頭いいな」ってものすごく頭のわるいことを思ったりする、他者、わたくしではないなんらかの持ってくる線のぜんぶをきれいさっぱり取っぱらって私の感覚をのみ持ってのぞむとかそうかんたんではないってことなんですけどなんというかそれも一つの起点なわけじゃないですか、まずそこに向かえよなにをするにしてもどう生きるにしてもって思わなくもない、そのための教育じゃないんですかなんでもそうだけど過去にも書いているけど成育過程である種の洗脳を我我は受けるわけでそうしたなか前提とか基準とかってものをわたしの責任とか思考とか試行のなか選択してゆくって行為そのもの選択肢そのもの分岐点そのものをそもそも認識させてもらえない与えられすらしないはあたりまえにあることなので、そうなるとどっかの誰かのこうでなきゃこうあるべきおかしいそうでもないに相当の期間振りまわされる十年じゃきかん場合もある最悪一生ずれるし間違いつづけるしかないわたしでもなんでもないものをわたしだってわたしは言いはって信じて疑えもしないで間違っているのはあなたたちでわたしはいらだちを隠しあるいは隠しもしないで鍵のかかるかけることもなくうるせえわたしでいるしかない、いる、といった事象の観測されるとかまあある、ままある、そんでいいのって思う、いいからそうしてるんだろうけど、ここで溜息、今日はよく晴れており洗濯物がよく乾きそうですね、ということはつまり今日はよい日であるということですね、知らんけど

PSYQUI – Are you kidding me feat. mami



垢抜けないとか感性が古いとかそういった感覚って問題にしないようにしていてそんなん人によって基準がちがうしそもそも判然としないところのものでありますからだから俺も合わない部分があっても大部がそうであっても本質的なすこしでも感じるところがあるならばこれはよいですねって言ったりする、そんなんなのでこれいいねって過去言ったものでほんとうにどうしようもなくこれは完全によくて好きだし好きでいられつづけたものって実のところほとんど無いの人生全体で、そんなもんだなあって、だから自分でつくるんだよなあってところにいまちょっといる、ぼくのいう天才はぼくにとっての天才でつまりぼく自身なんだけど他の人間がどう思うなんか知らんわけじゃないですか他人の感性なんかあてにしていないし俺の書いていることがわかるか? なんて訊く意味なんてあるか? 無いね、知ったことじゃない、勝手にやっているし知らないしやってそんでああ最高だな俺って水準になんとなくとどきはじめている気がするよく読むようになってからなんだけどなんとなくなんだけどつかめはじめていることがわかりはじめていて、だから『仮粧』は読みかえすたびにときめくし古さといまとのまじりあってどちらもわたしでちがいないってことをわたしだからこそわかれるし、で、それだってそのように感じられるいまだって過去になる、いずれは、更新されてゆく、なんにせよ自分以外がつくったなにかってのはならい、、、の素材であってそれ以上にはなりえない、わたしの至高はわたしによってのみ書きかえられるし他はない

感性が古いって古いものを愛好しているってことじゃなくたとえば十代とか二十代だった頃の自分にしがみついて俺のときはこうだったってずっと考えてそっから動かなくなるようなことを言っているんだけどどうでもよすぎるな、垢抜けないは? 思いつきの鍛えられも研ぎすまされもしないままかたちづくられて作者はそのことを認識していないとかだろうか狭さや暗さのなか閉じこもって外を見ないとか? これもどうでもよい



なんでもありだしなんでもあってそれがいいんだけど触れたくないもの踏みこみたくないものに踏みこんだり触れたりする必要は感じないし極力避けていい、俺はというと適当にあわせてめんどうの生じないようにしている手の触れる現実においては、考えすらせずはあとかへえとか言ってるところある考えると嫌だなって思っちゃうからそれはもう無駄な消耗につながるのでそっちのほうが嫌、考えたいことだけ考えていたい



アートをアートだとかそんなふうに認識している時点で世界って歪むので表向きそういう概念とかなんとかを採用して軋轢を避けるとか都合が良いから合わせるってくらいの役にしかたてていないのだけれども思いこんで信じちゃって決めつけちゃってわかっちゃって疑えないのってつくるうえではどうしたってちがくて、俺にはそう思えて、全体の一部としてそのように捉える瞬間とか位置とかってわからせるわかっていただく自身の現在地を確認する際などにひょっとしたらあるんだけどあって問題ないんだけどむしろあったほうがよいのだけれどもそうじゃなきゃいけないってのはあまりにもしょうもないじゃない、そんなもんあるっていえばあるしないっていえばなくなる程度のものだよねってわたしには思えて、だからそういう感じでいます



他人が引いた線をたよりに物とか事について知ってゆくとかそういったことの繰りかえしのなかでわれわれってかたちづくられているんだけどそうした基準とか尺度枠組みってどこまでもそうした目的のために利用されるものであるべきで、じゃないとうっかり拠り所として据えてしまってそんなかでしか考えられないし言えないしつくれないことになったりなりえたりっていうのはもう絶望的に退屈じゃないですかってことに気づくまでに俺はすこし時間がかかったし手をうごかすなか少しずつわかっていったので、考えながらつくりながら振りかえりながら調べながらたしかめながらって感じで自分のいる位置とか状態とかってものをさぐってゆく、自分自身を観察する、そうした視座は早い段階で獲得するに越したことないなって



ぼくはひとりでいるときと好きな人と話すとき以外は不都合が生じうるので適当に相手に合わせるという態度を採用しているのだがそれでも生じるときはあるのだがこういうことはあまりはっきりと書かないほうがよいように思う、でもほんとうにそれでよいそんなんでよいと思っていて、みんな、みんなって誰か知らんけどそうありたい奴らはそんな感じであれたら楽じゃないって思っていてだって疲れるじゃないいろいろと、ひとりかひとりとひとりかひとりといっぴきかでいられるのならそんなことしなくったって問題ない俺だってそんなことしない、でもいや知らんなんもおまえなんか知らんなんて在りかたは自由なようで逆にそうでなかったりするのでそうでなくなってしまいうるので実際、なのでそうでなく現時点ではありますし理想形をさぐりつつ向かってゆくのもたのしさのひとつかもしれないですねって思っている



ひょっとしなくともわたしは作品を原稿用紙に書きつけたことが無く無い以上まだ感じない何かがありうるのかもしれないおもいつきをノートに記すのとはちがう、はず

原稿用紙の効用、あるいは一筆書きの魅力|後藤護|note
そもそも「何か書こう」と思い立ったとき、パソコンを開いて立ち上がるのを待っているあいだにその情熱乃至インスピレーションが消え失せてしまうほどに僕の集中力は儚い。 運よくワードソフトを開くまで行っても、レイアウトやらフォントやら行間やら、自分好みに設定してからでないと書く気が起きない。マス目のない真っ白なページを前に...



わたしの作品はわたしが書いたとおりのものだしあなたが読んだとおりのものでもあってそれ以外のなにものでもなくなんなら作品と呼ぶ必要もない、ことばです



これはこうだよねこういうものだよねといったところのもの、極大解釈によってすべて呑みこんでしまえるしそれができるからこそ境界線だって無効化可能なんだしあらゆる領域を自在にゆききしうるわけで、だから息苦しさがあるのならもっとずっと高くから世界を観測すればよいし自分が立っていた場所だってそうして見たならちっぽけなもんでしかないなかったってわかるじゃない



呼吸の深浅が心の状態に影響を及ぼすというの委員長の雑談で思いだしたんだけど普段息の浅い人は意識して深く、深呼吸であるとかなんらかの呼吸法であるとか+瞑想であるとかをとりいれたほうがよいやもしれぬ、それはそれとしてサムネイルちょっとわらった

針でぶっ刺されたら不眠症は治るのか?【体験系雑談】



書きながら考えるとか思いつくままに書き散らすということをやってはじめて気づける自分の思考の癖や無自覚だった性質なんかがあって、そういう意味でもこのブログをつづけていてよかったなって、書く場をもうけてこんなふうにつらつらと連ねてみるの、シンプルにたのしいし書いてるうちになんかわかってきた感あるからええと思う



気になるままで買っていなかったベン・ラーナー『10:04』をいまさっき注文したのだが届くのは一週間後くらいになりそう、かまいません



PRIMEビデオでたまたま目にとまった映画を観たがよかった、ただしさとかそうでなさとかいったものの銘銘がもってそのために傷つく傷つけるといったことが起こりうるし取りかえしのつかないことにだってなりうるのだが、それだけではない、それだけではないと思いたいと思えるのはそれだけではないことを証明する誰かが何処かに存在しうるからで、最悪ともいえる状況状態にあってなおも選びとる、どうするか、どのように生きるのか、己の決断ひとつでなにかが変わりうる分岐しうるその可能性をたとえかすかであっても感ぜられるからで、もちろん勇気が、それもたいへんな勇気が要ることもあるだろうが私がありたい私を選ぶ、あなたがありたいあなたを選ぶ、そのさきに、ひょっとしたら思いもよらなかっただいじょうぶさだって見いだせるのかもしれない、そうであったら、あってくれたら、とそんなふうな感想にゆきついた作品だった、ちなみに俺は吹き替えで観た、公開済みの作品を視聴する際事前に情報を入れないことが多いのだが今回もそれだった、変な期待や先入観を持ちたくないのかもしれない

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