朝書いて昼書いて夜も書いてそんで寝る.

今日はやたらとつよく吹く風の外界をばたついてやかましい午前であったしおそらく午後にもそうだろうなどと考えていたら実際そのようになったしなったということはつまるところノイズに事欠かないということであったし事欠かなかった午前が延長されたということで結果キャンセリングするいまに至ったのだけれども無音はかえって変な気分になって不適当だと思えたのでそんならと適当な楽曲を再生しつづけている、『Alter Ego』は後半が気に入っている、中盤以降と書くべきか



川尻こだま先生の漫画、第2集が出ている、あとなんかイヴェント絡みの並んであったけど俺は読んでない、そちらはいずれ消滅するらしい



『読書の日記』で引用されていたジョン・マグレガー『奇跡も語る者がいなければ』が「これは…」といった感じで気づけば注文していた、しかたがなかった



午前に書いた『Iris』で相当消耗したらしく午後はふわふわと文を読んだり床に転がって過ごした、いやいまだって午後にはちがいないのだが時間の経過とともに心身が上向いたため異なる午後だと感じられているしやっていることといえば文を読んで床に転がって過ごすなわけなのだがなんとなくぼんやりとそこはかとなく質が変わっているためさっきとは別人のように文を読んでいるし床に転がってもいる、そもそもが文を読んで床に転がってぼくは一日のだいたいを過ごすようにしているためやはりというか当然のように文を読んだり床に転がったりしてこの午後を過ごしている



小説に関しては紙で買ったほうがよいと結論しいまではそのようにしているのだが実際ちがって実感というのかよくわからないがそんなふうに称されうるもののしっかりと纏わるもので、体験に、読む、という行為に、なので確実に満たされの度合いが高まってより満たされることとなっている、もちろん程度のひとによってちがうのだろうけれども俺にはこれがよいようなので、近年そのようにしているしするまでもなくそうなっている、これはもうただしさと呼んでよいのかもしれない



たのしい文章読まされる文章というものが読みたくて読んでいるところがある小説とか随筆とかなんとかとかなんだっていいがとにかくそうした状態に俺はいまなっていて、過去には何かを得てやろうという心づもりもあったのだけどそうした備え、、をするまでもなく耽ればなにかしら残るものなのでだから考えなくなった



YouTubeでの『花雛』翻訳配信は5/6 22:00開始予定とのこと、鷦鷯飛蝗さん猫ラーメンさんよろしくお願い致します、なにも起きなければわたしも行きますのでなにも起こさないでくれ世界という気持ちでいるのだが、というかどのように形容したものかまるでわからない不思議な感情になっているのだが、とにかくそういうことなので、できれば立ちあいたいと思っています



『亜的児』『詩鯨』の二作はすでに翻訳いただいており、そちらは↓で読むことができるのですが、振りかえってみてやはり不思議な感情に満たされるというか、あらためて、ありがとうほんとうに、それはそれとしてtumblrまったくさわってないな俺…

Sagiri Yukihira Translation Project
A collection of poems originally written by a Japanese "lyrics manipulater”; Sagiri Yukihira,...



読み書きは読んで書いてそんで完結してだからおもしろいという感じがあって俺も余計なものをひとつだって持ちこまないで終わらせたいという状態に書くほどに読むほどに近づいている、その途上で、まだ完全ではないのかもしれないのだがわからないのだがなんとなくそうなりつつあるふうに思われて結局のところそのように保ちそれゆえに回る生活というのが理想なのだろう最適なのだろうと思っているわたしにとって、どうなんだろう、書くものを書いて読むものを読んでそんなんでぜんぶがうまくゆくとするならくだらないなんもかんもぶん投げてそうするじゃないそうなればって、ねえ、そう思うんじゃないって思うんだけど



おお

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