急に目を描きたくなるときがあって.

絵じゃなくて目、そんで一枚目をさっきがりがりした、あとついったにいたときのやつも二枚、俺はなんかあれか、見上げてくるのが好きなんか、とちょっと思った、なんでしょうね、最近なんとなく四コマ漫画的なものをかたちにしたい感じになっている、漫画、漫画については以前にもなにか言ったような気がする言っただけだったような気もするが、ひとまずいまは眠ろう、でもあれね、絵とかなんとか、本気になれていたらいまとはちがういまがあったんだろうなきっとって、もちろん、やろうと思えばこれからだってやれるんだけどさ、やりたければ、そうしたければ、なりたければ、どうなの



集中して読みたいもの重さ、、のあるものは紙で、ということをぼくはやっているわけだが実際紙と電子書籍とでは記憶への残り具合にちがいがあるようなないようなことも研究されているようで、実感としては紙が強い、文字だけでなく物質としての本が有する個別の情報、場や時間など状況の様様が結びついているからなのかもしれない、知らんけど、いや質感とかすげえある、、よなって



なにかのためにした勉強をそのなにかのためだけに使う必要はまったくなく、たとえば受験勉強で得た知識を受験のためだけに使うとかわけわからんしいくらでも応用可能なわけで、小説書くとかゲームをつくるとか喋るとか動画をとるとか音声配信するとかコンテンツ制作にも落としこんでゆけるわけなのだから実際、そうした感じで生活とか人生とかあったことあったものを拾いあげていまをよい時間にできればよいよねって思った



つづくかもしれないしつづかないかもしれない、と書きつつ二頁目もあげた、自分の描きたさのためにわかりやすさが犠牲になっているので手をいれる必要があると思う、いれるかどうかはわからない、さしあたり一コマ目に生えていたアホ毛には死んでもらった一コマ目以降描き忘れたから、あとひさしぶりに描いたら四コマ漫画のむずかしさをあらためて感じた、マジでかんたんにひとりでよがることができてしまうので、どう描きたいかと伝わるかどうかのバランスというか、いちばんよいところを突かないとうまくはゆかない、ゆきたいのか

というわけで?四頁八本を描いた、たのしかった、つづきは気が向いたら、それはそれとしてわたしの四コマ、一本一本タイトルつけて情報を補完するタイプの描きかただってことをいま思いだしたわ、あとなゆたの言動って俺に近いというか制御しないとこうなるんよな、はじまりがここ、外からだとなにがなんだかわからんかもしれんしそれがそのまま漫画としての不親切さにあらわれているように思うので、読んでも一本目で「は?」となって終わる可能性もあるんだけど、でもなゆた本人にはわからないんですよずれてるってことが、俺もわからんかったからわかる



花雛』の翻訳実況を見守っています、照れる、ところどころむずかしそうなところもあっていや私が書いたのだけれども感心しつつなんとなく緊張もしつつたのしく視聴しています、アーカイブ残るんかのう、読みは『かすう』『はなひな』どちらでも、我も元元『はなひな』のイメージで、いまは『かすう』読みにしてるんだけど、どっちも気に入っている

【#顕在化する自我達】Sagiri Yukihira Translation Project "花雛 / 花雛2"
メンバー:鷦鷯飛蝗井澤文明a.k.a.猫ラーメンゆきひらさぎり個人サイト "Spherules": ゆきひらさぎりYouTubeチャンネル: Y...

コメント

  1. もりわびすけ より:

    久しぶりのさぎりんの絵に大興奮しました。とくに三枚目の、アイコンにも使ってらした絵は、可愛らしくて大好きです。細部までしっかりと描きこまれていて、まるで生きてるみたいですね。
    新作も日々の更新も(漫画も)楽しみにしています。

  2. わびねこ!ありがとねこじゃい!
    三枚目は“いまそこで微笑んでいる感じ”を最大化したかったので、それなりにうまく出来たかなと思っています。
    特に目とくちびるには注意をはらいましたね。
    漫画、に関してはやるのかやらないのか、気分次第なのでどうなるかわかりませんが、なにかとてつもなくゆるいものをぼんやりと思い浮かべています。

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