『オーバーシーズ・ハイウェイ』の高音が気持ちよい.

雑記

ここまでゆくと清清しいもので、昨日からたくさん聴いている、というわけでもう一度MVを置いておく

ウォルピスカーター×Orangestar『オーバーシーズ・ハイウェイ』MV



ついさっきまで『テオーリア』に仮名を振っていた、といっても特殊な読みは無いのだが…なんとなくそうしたくなってのでそうした、なんとなくは大事、技巧以上に直感を恃む性質なのでそうと決めればそうなる

星の明るさ ほしのあかるさ
 星の明るさは「等級」であらわす。地球から見た見かけ上の明るさを示す〈実視等級〉と、均しく三二・六光年離れた地点から見たときの星本来の明るさを示す〈絶対等級〉とがある。等級が低いほど明るい。古代では晴れた夜に肉眼で見えるもっとも明るい星を〈一等星〉、肉眼でかろうじて見えるいちばん暗い星を「六等星」として六段階に分類してきた。しかし現在では五等級の明るさを基準にして、一等級変化するごとに二・五一二倍明暗が上下するように定義されている。

宇田川眞人著『雪月花のことば辞典』p.332

星のほとんど見えないところに住んでいることもあってかなりぼんやりとした捉えかたをしているのだけれども星とか宇宙とかなんとかかんとか全体的にそうなのだけどもいいかげんすこし解像度を高くしてもよいのかもしれないと思うようになりつつある、したところで書くものの具体に傾ぐものでもないだろうが、たのしそうだからそうしたい、YouTubeにも宇宙系の動画が数多く存在し、中にはその特異性を取りあげるものもあってたいへんにおもしろい

好文木 こうぶんぼく
「好文木」とは「文=学問」を好む木、という意味で〈梅〉の別名とされる。わが国での文献上の初出は鎌倉中期に成立した仏教説話集の『十訓抄』で、そこには「唐国の御門みかど、文をこのみよみたまひければひらけ、学文をこたりたまへば散凋ちりしぼみける梅あり、好文木とはいひける」と書かれている。この『十訓抄』の記事の出典については、中国の皇帝の日常生活を記録した『晋起居注』だとされてきたが散逸してしまって現存しない。また、『晋起居注』に「好文木」のことが書かれていたと伝える文献もない。さらに「唐国の御門」とされる晋の武帝も哀帝も学問とは縁遠い皇帝だった。そもそも中国には「梅」と学問とを結びつける慣習はなく、むしろ「梅」を学問と結びつけたのは日本の菅原道真=天神飛梅伝説ではないか。そのように考察した研究者の韓雯ハンウエン氏は、「梅」を「好文木」と呼んだのは菅原道真と「飛梅伝説」を愛した日本の五山の禅僧で、彼らによる和製漢語の可能性が高いと論じている(「『好文木』考」)。

宇田川眞人著『雪月花のことば辞典』p.464
寄り酔い(羽生まゐご Remix)

人に添うように姿容の変ずる植物があるとしたら興趣深いところであるが、実際のところは知らない、あるか、ないか、印象としては無い、無いものであろうと思う、が、あるわけがないとかばかばかしいとかいったふうには考えない、この目にあらゆるつながりを映したわけではない、これまでに、そんな時間は無かったはずだ、たしかめない、知りえない、わかりようのないことについて決めつけてしまうわけにはゆかない、それはそれとして言語の無機物への働きかけについてなんとなくむやむやしている付喪神的なものだろうかわからないがなにかある、ありそうな気がしている、通ずることの届くことのない意味のない甲斐のないなんらの価値もないどうしようもないことの延延かさねられてそんで終わりなんもならんじゃあまりにしょうもない、なにもないこともない、そのこともなさ、、、、、のありかたのひとつを想像している



この二冊、さっき見つけて勢いで注文してしまったのだが後悔はしていない

 通りは空っぽで静かで動きがなく、光は輝きを増しつつあり、影は硬さを増しつつあり、夜明けのもやは焼き払われつつある。この日はやがて特別な輝きを、暑くて無気力な、そして張りつめた輝きを放って燃えることになる。あとになって雨が、強い突然の雨が、降ることになり、焼けた舗装路は湯気を立てて光り、水は路面に縞模様をつくって側溝に流れこむことになる。そして窓はあわてて閉められ、人々は玄関口に雨宿りして、驚いて黙りこむことになる。しかしいまは、一日がはじまったばかりのこのときは、雨は降っておらず、通りは温まりつつあり、そして人々は眠っているか、目を覚ましてベッドの中でもぞもぞしているか、愛しあってふたたび眠っているかである。

ジョン・マグレガー著 真野泰訳『奇跡も語る者がいなければ』p.46

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