描きたいものが何も無いということが描かないことを意味するとはかぎらない.

ということを思いながら描いている。


文章もそうなのだが、僕は、これがつくりたい、こういうふうにしたい、といったイメージが上手くできない性質らしい。


なんとなく、は浮かぶ。
ぼんやりとした像らしきもののあるかなしかといったところでふわふわしていることはある。


しかしいざ手をのばすと霧散する。
具体的にどうこうといったことを意識しはじめた途端すべてにうんざりしはじめる。


なぜか?
単純に、したいことではないのかもしれない。


書くことや描くことがしたいことではない、ということではない。
書くものについて考えること、描くものについて考えることがいやなのだと思う。


したいことではない、いやである、という判断がどのように、どの瞬間になされるものなのか、自分のことでありながらどうにも掴めないのがもどかしいところではある。
曖昧さとか微妙な感じがうるさくなるときもあるし、どうなんだろうね、うまくできないが、どうなんだろうか、といった気持ちのまま動けないこともある。


厄介といえばどこまでも厄介で、しかしそれでも考えること自体は無駄ではないように感ぜられるので、折にふれて、どうしたい? どうする? と自身に問うているのだがそれがまた厄介で、考えたってどうせそのとおりになんてしないしね、どうせ。


だから、要は考えるだけ無駄、ということをきちんとわかってはじめたいのだろう。
いいから手を動かせ、という地点にまでゆきついて、そこからはじめたいだけなのだと思う。




今回はファーバーカステルを買った。
つぎは王冠化学工業所の『ゴンドラパステル』が欲しい。


かわいくない?
ただ『ゴンドラパステル』って242色まであって、現時点ではそんな領域にはいないな俺はって思う。


さしあたり36色やな…。




あるものを知覚した際の感じかたとか捉えかたとかいったものがつまりは個性の土台になるんだけど、そういうのって生まれ育った環境に左右されるんだよね。
赤いポストを見て赤いポストだとしか思わない、切手貼って郵便物を放りこんで他になんかあんの? とかそんな感じで、それをそれとして、自明のこととして受けとって疑いもしない状態ってままあるものだと思う。


なんというか、自他に対してどこまでも受け身であるというか。
別にそれでもいいとは思うんだけど、本人がそれでなんも困らんとかそうありたいとかいうのであれば。


ただそういう自分に慣れてしまうことで、それがあたりまえになってしまうことで、そうでない誰かに対して引け目を感じたり、何にも起きない変わりもしないでただ老いてゆくだけの現実に息苦しさを覚えてしまう人間もいて、なので創作するしない関係なく、想像力を働かせてありもしないものを創出する能力は普段から使っておいたほうがよいように思っています。


対応力とか柔軟性とか問題解決能力とかいろんなところにつながってゆくだろうし、あと単純に事象の解像度があがってより生の実感を得られたりする。
実際、好き勝手妄想しつづけていないとかんたんに褪せるものなので、日常って、なのであるものをあるとおり、教えられたものを教えられたとおり、与えられたものを与えられたとおりに受けとって終わるとか、なんらの心の動きも無いまま食って寝て食って寝てとかどうあっても避けたいですね、俺は。

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