誰とも違ってそれがいい、そうでなければつまらない.

競争しないことが重要という考え方、いまはめずらしくもない。
独自性を獲得し、一貫する、その他大勢に埋もれないための思考として。


書く、という行為の上でも意識されるものであろう。
意図せずそうした状態になるのやもしれないし、制作のなか自身の欲求に気づくのやもしれないが、過程はともあれ抜きんでた何者か、あるいは他ならぬ私にならんとする以上無人の地平をゆくほかないように思う。


表現手段にしたって限定する必要はない。
選択した手段のなかでだって足並みをそろえる必要などない。


逆巻く折にも揺るがないでいられるのはそうしたしなやかさ、自在さがあるからだと思う。
ただ得られるものと失うものの天秤にかかるのもたしかで、誰にもなんにもわかられないままどうにもまったく報われないまま終わるとかいくらでもあります。


そんでもぜんぜん構わないというのであれば好きにやればいい。
そうでなければ群れの頂点を目指すなり、そこそこの地位、立場に安穏と、あるいはしがみついて必死に暮らすなりすればいい。
ぬるい殴りあいをくりかえして溟濛のなか窒息してゆくのもいい。


結局は覚悟というか、それでいいや知らんとか嫌だけど仕方ないとかじゃなく、俺はこれがいい、私はこうするこうしてみる、といった、選ぶという行為への意志、その有無や強度が人生の質とか密度とかに関わってくるんじゃねえかな。


運もあるけど。
そう思えること自体幸運とかその選択肢がある時点で恵まれているとかエグいんだけど実際めちゃくちゃデカい要素でほんとうになんもかんも左右されうる、厄介すぎ。


でもだからこそ迷えることも悩めることも決断できることもなんとなく過ぎ去らせないで一つひとつ手にとって生きて死ぬのがよさそう。

息苦しいのは歪みや偏りがあるからだって自分でわかってたよね

そんでも振りまわされるとか、感情とのつきあいかたの掴めないうちはしんどさの延延解消されないでしんどいとなるもので、俺も過去にはなっていた


体感覚とか感情の流れとか、観察を通して解像度極大化しとかないとたやすく言語化という名のブロックノイズにまみれるもんで、視界なんて秒でやられる


要約というか、なんかそれっぽい言葉、虚構に置きかえてそんで把握したみたいな思いちがいってかんたんにできてしまえるじゃないですか我我


だから瞑想の昨今の人気はよくわかるんだよね今そこにあるもの己のうちにあるものを無視するなよ、というの


いや言語偏重はそれはそれでいいとは思う
呑まれるより速く進めばいいだけだから


でもほんとうにできるのそんなのって話ですね

他人がどうとか世界がどうとかいったあれこれは自分がどうかを考えぬいたさきにしかない

自分自身から目をそらすには便利だし都合もよいのだが万物諸諸周りにあるものってどれも、しかしそういう使いかた、、、、をしていると私が一生どうにもならないでしずかに窒息してゆくだけなのでそれでもいいひと以外その手の生きかたはしないほうがよさそう


自分のありたい自分であって、その結果だれかのためになるとかなにかが変わりうるとかいった状況が自然なのね結局は
俺もそうで評価されたいとか認められるために制作しないじゃない、書いたんで読んでください批評してくださいなんて言うか俺が、知ったことじゃない


なによりはじめに自身の欲求の正体をつかむ必要があるように思う
そしてそれらしく私をつきうごかそうとするものの真実追うべき欲求であるかを見極める必要があるように思う


他者でも社会でもなんでもいいけどそうした外界の垂れ流す押しつけてくる幸福のイメージとかこうあるべきとかこうでなければとか無数のフィクションに包囲されて生きてんの人間


脳までやられて自己を見誤るとか余裕であることなので、いまここにいて呼吸する私というものが間違いようもなくたしかにそれを欲しているのか欲しいと思わされているだけではないかってことを考える習慣が要るのかもしれない

調子を合わせて手に入れたゴミに溺れるようなことがあってはならない

そういう生き方のさきにはそういう死に方しかない
淀んで見えない自分のからだのどこがどうかなんていつまでだってわかりようもない
捨てて捨てて捨てぬいてようやく覗かれる表皮のむこう、奥底からしかわたしのことばは生まれようがない


飾ってきれいでやさしいならば、それは、自身のためにこそ、あたたかであってほしい誰か、愛するだれかのためにこそであるのだし、保つことだって、できるとするならば、きっと、いつかのわたし、いつかのあなたにつづきうるからだろう

映画『グリーンブック』を観た

(日本版)予告はあれだがおもしろかった


いやほんとうに余計な情報くっつけるの悪趣味でしかない感動がどうとかもうるさいだけで
たまたま見かけた本篇をなんの先入観もなく視聴するのがいちばんたのしめますね結局

既存の感情をなぞらせることが目的なのであればそのための技術はいくらでもある

観て読んで聴いて心の動いた作品からいくらでも抽出できるしされているしまとめられて本にも記事にもなっているだろうそこから学べばよい
わかりうるものをよりわかるようにわかりうる誰かに届ければよい


だが、まだないなにか、あるかどうかもわからないなにかを呼び起こす手段は自ら創出するしかない
まだない言葉のまだない並びのまだない響きの知られも望まれもしないなかをさぐる、わからなさをそればかりさぐりつづけるような時間の意味とか価値とかいったもののはかりようもなく不確かで、だからこそつきつめるたのしさがあるんじゃない


というか、どうなんだろう、ほんとうにどうしようもなくおもしろいことってそういうところにしかないのかもしれない
保証された期待された充足って安定とか安心が基部にあってそういう満たされかたはしうるし満たされなかったとしても不満のかたちというか型もやはりあって満たされるかもしれないもので満たされなかった人の心情になることができたりする、わかりやすく、なのだけれどもでもじゃあそれだけこなして不足なく人生やってゆけるかというとどうにもならない人もいて、どうにもならないからっぽだってある人にはあって、現にだからつくっているのだし、俺なども、ただ他人の手法なんかいくら漁ったって一滴だって零れてくるものはない、わたしがわたしを顧みないで届きうる未来などたかが知れているのである

そういやフルバを観ていなかったと原作で読んだ数話を再生したら涙腺がバグってわらった

↓は一期のダイジェスト
七分強あるので本篇を観る予定なら再生しないほうがよいやもしれない

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