既成概念とか固定観念とかいったものをいかに取りはらうか.

雑記

わたしはわたしで経験が形づくったものだし経験によって形づくられたものは経験によって乗り越えうるのだけれどもこれっていうほどたやすいことではなく結構な時間と労力がかかる
意志もかかわってくるし、うまくゆかない可能性もある


その割にずいぶんふわふわと歩いてきた気もするが、それはただ危機感がなかったせいで、変わったのは残り時間を意識しはじめてから
しょうもない人間のしょうもなさのために人生を無駄にしたくなくなってね


生きづらさや退屈は早早に捨てたい
生きづらさと退屈を抱えて今日がいい日だったなんて思えたことが無いから
でもそのためには変化に適応してゆく必要がある
時代とかなんだとか、いろんな変化に


依怙地、なんて言葉があるが、こだわりとか執着とかいったものに振りまわされていまや自分がわからなくなると途端に喉をしめつけられることになるんですよね
自分で自分と信じたものがそのまま枷となってあたしを追いつめることになる


わたしが選んだ正しさか?
わたしが望んだ歪さですか?
すべてを引き受ける覚悟が?


よく見られるのが成育過程において旧世代の価値観世界観を継承してしまうといった事態なんだけど、これが致命的にまずく、いまも、自分も、すっかりわからなくなってしまう、ずれてしまうのね、世界と
とうの昔に通用しなくなった尺度で自と他とあわせて相対せざるをえないわけだから、単純に、たいへんな負荷がかかることになります


もちろん教養によって踏み越えられるものではあるのですが、教養でもって踏み越えられるものだということすら教われない場合もあり、若年期にこれが無いとほんとうに最低で、息が詰まるし、詰まらせたくさえなりうるんじゃない?


だって、ぼくのもきみのもそうだけど、しんどさを肩代わりしてくれる誰かは世界中どこをさがしてもいないもんね
わたしらしきものにしがみついてそんでもどうにかなりつづける都合のよい今日もきっと無い


とっくに気づいて見て見ぬ振りして追いつめられるまえに自分のいかれたところと対峙したほうが結果的におもしろい毎日になると思います


上で覚悟って言葉を使ったけど、変わるにせよ変わらないにせよ覚悟は要るし、どんな在りかたを選んだって後悔は生じうる
ただ、行動してする後悔としないでする後悔とでは後者の方がえぐいので

Q1 基調講演とは何か?

  • 会議や討論会の基本方針を明示する講演

言葉としては知っていたが調べてはいなかった
講演というものと縁の無い人生を歩んできたためか現状全く使う場面を想定しえない語だが明日になればもうわからない


keynote speech (キーノート-スピーチ)とも言う
こちらも元元知っていたがさっきはじめて結びついた
それはそれとして長時間ひと前で話すとなるとそれなりに準備が必要になりそう
あと慣れと

Q2 平行溝のシステムとは何か?

  • 皆が自分の溝を掘ることに執着するあまり問題解決の糸口や答えがあるかもしれない隣の溝を立ちあがって見ない状況

ゆきすぎた専門化が引きおこすそうな
特化型がその他の分野を理解しないといった事態は実際にあるし、問題の深刻化の可能性を考えると非専門化をはかるのが妥当という感じがする


細分化された組織においても同様か
情報共有、連絡が不十分であった場合など無用ないざこざが起こりうる

時代も状況も変化しつづける、とどまることがない.

これまでどおりではいられなくなるということが誰にも起こりうる
ぼくだってそうで、だから生き方に幅を持たせるよう動いているわけです


じゃないとたとえばシンプルにお金に困るということにもなったりします
収入源を複数持つのがあたりまえになりつつあるいま、ひとつに絞って他の可能性を排除するとゆきづまりを感じた瞬間から思考が鈍ります
偏向にも陥りやすくなって危険です(お金が足りなくなるとIQが下がる


なのでそうならないよう、あるいはそうした状態を打開するために様様やってみる
すでに専門があるのなら、専門で得たものを他で使ってみるのもよいでしょう


音声メディアで喋ってみるとか動画を撮ってみるとか随筆に書くとか漫画に描くとかアートに仕立て上げるとかいったこともそうですが、本業でしか使えなさそうなもの、個人的私的な経験、想念、見えかた聞こえかた匂いかたといったものが誰かにとっての価値になる、はありうるので、事象を多角的に見る、これはこうだしこうでしかありえない、ではなく、その時代にあわせた有り様や価値を模索する、選択肢をつくりだすといったように考えることが大切だと思います



同業にそういう動きをする者がいない、いても質が低いというのであればなおさら、試してみる価値はあるのではないでしょうか
灯台もと暗しなどと言いますが、馴染んでしまって違和のない、おのれの一部のようなものをこそ異化してゆきたいところですね


ただ、なにをするにしてもそうですが、自分にとっておもしろいこと、たのしいことでないとつづけてはゆけないし、突きつめることもむずかしい


おもしろいと感じること、たのしいと思えることが自分でわかっているのであればよいですが、もちろんそれだっていつまでも変わらずありつづけるとは限らないのですが、そこからまずわからない、という場合はとにかく手広く取組むところからはじめる必要があります


おもしろいこともたのしいことも実際にやってみるまではほんとうにはわからないからです
それもちょっと触ってなにこれ難しい退屈辞めますではなく、ある程度の期間集中してそれなりにまでなってようやく、というものでもあったりします
なんとなく、ばかりをつづけていると、いつまでもわからんでいずれ亡びます


実際受動的であることの最大のリスクはわからないものをわからないままに気に入らないものを気に入らないままにつまらないものをつまらないままに放置し遠ざけ結果世界を極小化し自滅するところにあったりするので、やめておいたほうが身のためでしょう


ひょっとするともうすでに、かもしれませんが、若年時から自己のありようを定めてしまうと、将来的に閉塞感に苛まれることになります
いまがどうしたものであるか、暮らす世界の流れを無視してあるいは軽んじて適応しない、身じろぎしないでいるのはきちんと観測することなくそれっぽく見えるもの、なんやろうな、天動説とか?を信奉し、喧伝するようなものというか、そうでないなにかをよりおのれから引き離すことにもつながるのでおすすめできません


拘りであるとかいまの自分の性質だとかに首根っこを掴まれると簀巻きレヴェルの圧がかかります
外から見るぶんには「いやなんでもやればいいんじゃないの」といった状態であるにもかかわらず、本人は闇の中、八方塞がりに感ぜられてしまうということが起こりうる


自分はこれしかできないやりたくない、とか、いまさらどうしようもない他に道はない、とか、なにをどうすればいいのかわからないなにから手をつければいいのか…とか、くそつまらん今日の連綿と死への行程として舗装されてゆきます


ですからまだ動けるうちに人事をつくしたほうがよい
それ自体を目的にした勉強もすばらしいですが、思考法や情報(知識とか経験とかなんかいろいろ)の応用について学び、わたしを更新しつづけ、去年でもなく5年前でもなく20年前でもなくいまこの時間を生き延びる術を身につけるための勉強も同様にすばらしいものです


不勉強な20代より勉強家の60代のほうがはるかに若いです
一応書いておきますが、ぼくは自分よりも若い人間と話していて若さを感じたことが一度もありません
そんなもんです


どうにもならないなってない、どうなる?どうしようどうすればというおもいがあるのなら、それはもうどこかでいまの自分ではこの時代にもこの先にも道をつくりようがないということを感じとっているその証左であったりするので、相応のありかたに切りかえていったほうがいい感じになるんじゃないでしょうか


あとあれ、単純に忙しくしたほうがいい場合もあって、塞ぎこんだり不安になったりするのはそうする暇があるせいだったりするので、成果がでるかどうかはわからんけれども新しいことをやってみるとか、難しいことをやってみるとか、そうして自分を拡張しつづける、そのさきで未知の世界にぶちあたる、という繰りかえしで一日を充実させるのがよさそう


そうそう冒頭部で「幅」って書いたけどいまこれを読んでいるからです
おもしろい

まわりがそうしているからとか誰もやっていないからとか世界がどうだからとか自分以外の諸諸に生きかたを選択されるのではなくまわりを誰かを世界を俯瞰したうえで道を決めるなりつくるなりしたほうが生きていておもしろいので.

そのように在るよねって話です
それができるうちにそうしたほうがいいと思うし


どうにもならないこともたくさんあるからこそ、どうにかできるところでどうにかできることをどうにかしてゆきたいし、どうにかできたらたのしいんじゃないっていう


あとマジで異様に重要なんだけど情報足りんとどうもこうもないんよな
自分の状況や状態にあわせて検索したり本を読んだり、とにかく知識を手に入れないとまずなんなのかがわからない、、、、、、、、、、、、、すべて、、、


なので勉強はしたほうがよいです

普遍的とされる何かを手を変え品を変え語りなおしているだけなんだったらそれにばかりかまけてもいられないよね.

書くくせに文芸あんま読まんの「それはもういい」が増えてきているからなんやろうなって思った
俺の中で蓄積されたものがあるわけじゃないこれまで生きてきて
人物とか感情とか関係性とか物語の展開とか描写とか、分野が変わればゲームシステムとか、なんでもいいんだけど「抽象度あげたらどれもおんなじ」が消費するほど多くなってゆく


だから型であるとか枠組みであるとかいったもの以外をよく観察するんだけど、文体とかもそうだけど、被るじゃない、おなじようなものを消費しておなじようにおもしろがって似せてったり似てったり、そんであるにもかかわらず創ったら特殊なものになりましたなんてことはまあ無いのだから、だから読まなくていいなって思うことが増えてゆく


なのでよく言われることだと思うんだけど、自分にとっての主要な分野以外をよく知る意味ってそこにあって、要は知見の応用で、たとえば文芸領域で前例の無いわけのわからんことができたりするわけです、まったくかかわりのないことに通じてそこで得たものを落としこむことで


流行りのなかでも個性的な題材を扱うひとがいたりしますけど、そんな感じ
単純に目立つよね、こんなの書くひといるんだ、とか、本業これじゃないと絶対書けんだろとか


もちろんだから勉強しましょうするべきって話ではなく、変に自分を抑えこんだり他人に左右されることなく興味を拡大していったり知識を最大化していったり、そうやって結果的にオリジナルに到達できたとしたらそれもやりかたとしておもしろいよねって話です

Q3 ロンドンタクシーの免許取得試験を何という?

  • The Knowledge of London

世界最高難度の試験と呼ばれているのだとか
でもせっかくパスしても自動運転車両が導入されたらどうしようもなくなりそうなんよな

ロンドンタクシー運転手が受ける難関試験「The Knowledge of London」とは? - 留学@UK
イギリス・ロンドンの「Black Cab(ブラックキャブ)」と呼ばれる背の高い黒いタクシーの運転手になるためには、ロンドン交通局(Transport for London)が実施する「The Knowledge of London」という試験に合格する必要があります。
英ロンドンのタクシー最大手、2021年にAI自動運転サービス オックスフォード大スタートアップとタッグ|自動運転ラボ
イギリスの首都ロンドンのタクシー会社「アディソン・リー」が、英オックスフォード大学発のスタートアップ企業で自動運転ソフトウェアを開発するOxbotica社と組み、2021年にも自動運転タクシーサービスを開始する可能性が出てきた。

それはそれとして熟練した運転者ほど脳(海馬の記憶を司る部分)が肥大していたそう
頻繁に新しい道を憶えることになるだろうし、そうでない人との間に差が生まれるのは当然か

『THE GUILTY』やっと観た.

通話で進行するせいか『オン・ザ・ハイウェイ』が想起された
しかし内容までは思いだせなかった
たのしいお話ではなかったということだけ憶えている


『THE GUILTY』も予告からして気持ちのよい感じはしないと思います
実際気持ちよくはなりませんでした


情報の断片から事態を推測しつつ視聴することになるでしょうが、表題が表題なので…
「あー」となってわたしにはおもしろかったです

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