軸となる設定があると書きやすかったり逆に書きにくくなったりもする.

ということを『spherules』を書いたときと『ニニと神さま』を書いたときとのちがいで感じた、現行のspherulesは実際書きづらく、誰ともつかないわたし・・・の言葉をふわふわとさぐりつつなんとか定着させる感じがある、しかしニニで用いられる言葉の大半はどこまでもニニの言葉でしかなく、それはつまり迷うための足場があるということで、ニニとして語を求め拾い灼きつけるということをすればよいわけであり、性質がちがう、書きやすい、のだとすればspherulesにも一篇ごとの設定を用意すればよいのでは、他との差異だって明確にできるし事実いくつか書いているじゃないか、元元そうしたものを想定していたのだから戻るだけだ、のだがなぜだかそうならない、なれないでいる、なぜでしょう、しないだけなのかもしれない、掌篇、と呼べるものをいまのこの自分が書きたいのか、どうなのか、やって確かめるしかない、まだよくわからないのだがそうした「どうなのさ・・・・・」も制作のたのしみとして数えてよいのかもしれない、いろいろな書きかた、姿勢であるとか立ち位置や視座であるとかいったものを持つことで切りかえがきくようになる以上、こうでなければしなければこうあるべき、ではなく、こうしたいああしたいどうしようをぐるぐると巡りながら都度あらたな領域を創造してゆくのがいい、要因のさまざまに果てへと結びつきうるが、その向こうを描きうる鍵となるものもやはりさまざまある、自身は枷ともなりうるが、ほどきうるのもまた己である



気になった本に、

  • 悪しき造物主〈新装版〉
  • ミュージアムグッズのチカラ
  • 孤独の歴史
  • 山羊と水葬
  • WILDHOOD 野生の青年期 人間も動物も波乱を乗り越えおとなになる
  • 世界のすべての朝は
  • ちょっとピンぼけ
  • 着眼と考え方 現代文解釈の基礎

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『世界のすべての朝は』著者パスカル・キニャールはいずれ読みたいと思っていて、しかしさがして見つかるものの中古かつ定価以上であるとかいった場合が多く、なので機会があればといったくらいの態度でいたのだが、たまたま覗いた双子のライオン堂さんに『世界のすべての朝は』が新品かつ定価できちんとあり、購入することとなった、反射だった、『東京の生活史』でいったん打止め、本はしばらく買わない、のではなかったか、と思ったが、他にどうしようもなかった、双子のライオン堂さんのサイトは訪れた記憶がない、過去訪れたかもしれないがどうであったかわからない、「選書」専門店とのことで、並べられた書影の選ばれてそのようになった印象が心地よく、さらに本以外のものも売られており、さまざま動かれているお店でもあるようで、興味深く、だからまた開くのだと思う



『着眼と考え方 現代文解釈の基礎』は読書猿『独学大全』(p.685)でその存在を知ったが絶版で高騰しており入手しなかった、しかし文庫化が決まり予約もはじまっていたため注文、10月11日発売予定とあった



異世界の詩人を主人公になにか書くのはどうだろうと思ったがどうだろうとはどういうことか、誰に対するどうだろうなのか、自分です、架空の地をゆく者の言葉のひらめきだとかわからなさにわからなさのかさねられてわからないことがわからなくなる感覚だとかをわかりたいのか、旅日記のていで、どうだろうか、やってみなければわからない、設定、最低限の設定と、必要におうじた設定とが必要になるのではないか、はじめてみなければわからない、はじまるかどうかもわからないが、そのようなことを考えていた



テキスト主体のゲームもおもしろかったりするんだけど日本語版が出ないとか遅れるとかめずらしくない、どうしても遊びたい人はそのために勉強するのかもしれない、ただ有志による翻訳が存在する場合もあって、僕はお世話にならなかったのだけれどもなんというかすげえなと思っていた

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