本は買わない、しばらくは、とつよく思っている.

でないとついつい注文してしまう、さっきもあやうくミシェル・レリス『幻のアフリカ』を買うところだった、そしてまだ「買ってもよいのではないか」という気持ちでいる、よくない、あぶない、よくない、いや、そもそも知らなければ欲しいとも思わないのだから新刊既刊情報には一切触れず手持ちの本を読みすすめればよいのである、『漢方百物語』がほしい、中国医学に関する逸話が編纂、記載されているという、気になる、中国といえば『中国文学の歴史 古代から唐宋まで』も気になっている、「詩詞」「文学」「文章」、先秦時代から宋代までの作品をたどりつつその時時に生きた者たちへの認識を新たにする、といった感じだろうか、「表現への意志」という表現があとがきからの抜粋にあって、あー、と、なにがあーなのかわからんがあーとなった、表現への意志



見えないひかりを見るように書くということの遠さだとか聴かれようもなくある音階の把捉など到底しうるものでないということの途方もなさだとか、問題になるのはそうした様様のみであり、至りうるのかえないのか、かもしれなさといったものこそが原動となる、果てはなく、しかしそのように感ぜられたところでそれは幻影にすぎない、わたしの終わりはわたしの終わりでわたしのことばの果てではない、在るならば、遺るのならば、公開する意味って結局それなんかもしれん、いつ死んでもいいように、というなのだろうかとそう思った、記述すること、記録すること、わかるひとにだけわかればいいし、のこるひとにだけのこればいいし、それでなくともなにひとつかまわない、どうなろうが俺のうちにはいつまであるものだからこの言葉は世界が憶えていてくれる、、、、、、、、、、、消えない、、、、、公開する必要があるのかしなくともよいのか、考えるまでもなく自動的にぼくはここであるとかどこだかであるとかに放ってしまってほんとうに考えたいことだけを考えていればよかった突きつめていたいそうあれたなら、ただまだなにひとつ語りえないという自覚があり、自認があり、なにひとつかたちになっていないしできていないもやもやの延延とあって得体の知れずにわからない、読んで書いてそれでゆきつく程度のものならとっくにどうにかなっているでしょうがそうしたたぐいのたやすさでもって解消可能な冥さではないらしい、つづけるさなかにひらけるものか、通ずるものか、わからない、という思考があり、たぶんずっとある、果てはない、おそらくは



言葉に満たないものたちのほんのかけらでさえもいまだぼくは描きがたくいる、というここに現時点であり、だからさいこうのたのしみをうんざりをぼくはすでにもっているのだとおもった、うんがよい、ぼくにはぼくの仕事がある、ぼくだけの仕事がある



才能はそのひと固有のもので比較のしようもないしそうしたしょうもなさとは隔たれた境域にそもそもある、あらゆるはかりたさ、、、、、はわかる、、、、、あらゆる異才を優劣であるとか可能性であるとか数値であるとか界隈であるとかいった諸種に接続する、そうした志向、心理はわかる、わたし自身わたしのそうでなさ、、、、、を拾いあげることができずからめとられていたかもしれないわけだし、参加しない競争もしないなんでもありはしない自分自身らしきものすらあやしいなんらかでありつづけるということがどういうことなのか、そのさきなんてもののありもしないなんもわからんでいるということがどういうことなのか、ぼんやりとでもふれるふうでいるのが心地よく響くいまを俺は好ましく感じるし捨てる気はなく、そしてたぶんだけれども誰にもそうしたところでしかつくれないものがあるなどと思っていて、だってつくるとなるとどうあったってわたしとつきあわざるをえないじゃない、逃避としての創作は逃避としての創作にしかなりえないじゃない、逸らしたわたしがぽっかりとつくったものの空白となってあらわれるじゃないわかるとか見えるとか感じるとかそんなんじゃなくあるじゃないそこに、突きつけられるじゃないですかかえりみればいやでもなんでも目にとまる私だけにわかるそれは、だから俺は騙りというものを俺自身に向けることはしないし二度とできないのだと思う

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