文字を追い、暮らす旅.

結局のところぼくにとっての読書のたのしみとはぼく自身でなければぼくではない誰かによって書かれたことばをたどるという行為そのものにあるのですね、読んでなんになるとかいったこと、意味とか価値とか役立つとかいったことは問題ではなくただ読むのがたのしいのであって、原初にあるのがそうしたものであって、かといって読めればなんでもいいわけじゃないのだけれどもよりつよく感じる、、、ものであればうれしいよねとは思うのだけれども基準は判然としないため相当の部分が「なんとなく」で構成されているのだけれども実際なんとなくであることがほとんどなのだけれども大抵はおだやかに手繰るふうでいるように思われて事実そのようにあって、読書、ぼくは他人に読書をすすめたりはしません特に、読めばいいのにとか、思わなくもないけど関係ないしそんなのは当人の問題で読みたくなったら読めばいいしそうでなければ読まなくていい、でも読んで変わること、手に入るもの、あるいは失うものについて知らないままに読まないという選択をしているのはもったいないと思わないでもない、知らないまま、教わらないまま、読むたび自分が書きかわるじゃないですか、読めばさっきまでの自分とはもうちがう自分になっている、ちょっとわからないくらいのちがいかもしれないけれどもたしかにどこかが変わっている、わたしのではない言葉を読むたび、ひともじ拾いあげるたびにわたしはちがったわたしにうつりかわってまだ知らないで遠いわたしになってゆくのわかるかしらそれでね、くりかえす、くりかえされる途上に迷子になることも見失うこともあるのだけれどもそれでもいつか、そのさきであなたにであうのかもしれないおなじようにたどりおなじようになぞり目指す果てもないままに歩きつづけるどこかでわたしたちはであいうるのかもしれなかった、書く、を通してわたしはわたしのことばをあなたにぜんぶあげるの、と思った、読む、をとおしてわたしはあなたのことばをほんのすこしだけもらうの、忘れっぽいからわたし、と思った、それでいい、だからいま、こんなふうにあるのだと思った、思えることは、ぼくにとってのさいわいだった



『プルーストを読む生活』がほしい、読む人によって書かれた日記はたのしい

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