ぐるぐると考えるばかりの今日だけは避けたい.

身体を使うこと、手を動かすこと、書くとか描くとかつくるといったこと、歌うのかもしれないし鍛えるのかもしれないし撫でくりまわすのかもしれないし見るとか聞くとかいったことかもしれないそうした行為にわたしを落としこむことでしか解消というか発散できない何らかがあり、その何らかの蓄積によってしんどさらしきもののあらわれが生じるふうに感じる以上ではやりましょう考えるだけでは駄目だ、書出せ、語れ、かたちにしろ、気持ちよさはあらゆる制作の過程にどうやらある、らしい、はじめさえすれば僕らはそれらに親しみうる、というか親しんできたのだ俺はさまざま実際にだからわかるしだからこそたもつことのできた自我というものがある、たもつべきものであったかは置いておくとして、そのような事事のさきにいまのこのわたしというものがある、という文字列が最近わたしのなかにある、動かすこと、育てること、刻みつけること、記録し、忘れること、無数の変化、無意識化における移行までもがつらなりあっていまに結びついている、生きて死ぬいつかまでのあらゆる私の瞬間がそうして出来上がっている、歩きながら走りながらわたしはひとつも黙らなくってよかった、そう在ることのできる時間が僕にはまだ残されており、それはおおきなさいわいであるのかもしれなかった



いや? 関係ないですねあなたの人生なんかわたしにはどうぞお好きに、という姿勢は結構というかかなり大事でなぜなら身をまもる盾であるとか壁の役割を果たしてくれるからなんだけどだって共感とか感じやすさらしきものの重荷となる場合もあるので、ただそう書くとひととしてどうなの的印象を周囲に与えかねないから基本黙っているほうがいいのかもしれない思いません? ひととしてどうなのってどうなんでしょうね実際、というか僕の場合はシンプルで大事なものは大事それ以外は知らない以上で完結してるんですよいちいちあれこれ気にかけている場合じゃない、銘銘がそうやって基礎だか地盤だかを固めつつひょっとしたらぶちこわしつつ手を伸ばしたり引っ込めたりしてバランスとったり破綻したりしているのかもしれない、どうなんだろうな実際



今日を構成するあらゆるディティールに注意を払い解像度を高め解釈を多角化多層化し無限の展開を生きるってことをやりながらうまいもん食ってうまいっつってごろごろして本読んで寝るってかたちの消費をくりかえしそのどれひとつも軽んじないでいられるならけっこういろいろだいじょうぶだったりするんだけどそうしたある種の平衡感覚って諸諸踏みこえたさきにどうにか掴みうるたぐいの状態であるひとも中にはいる俺はそうだった、過程になんやかんやあってうんざりしてもうやだってなったとしてもそのさきだってやっぱりあってくたばるまでのみじかい時間我我は常に出会いうる、私を固定しないこと、ふたしかさを引受け不明に遊ぶこと、いつでもすべてを打ちすてられること、いまあるわたしに拘泥するなら窒息なんてかんたんに僕らできてしまえる言葉で世界はつくれない、言葉では、世界は、けっしてつくれない、という現実だか不可能性だかのさいはてをむこうがわをいつでもあなたは歩くこと、君らに私は量れない、というどうしようもなさの一度だって誰であれ違えさせてはならない、ほんとうばかりをつかんで死ぬまでつかんで死んで終えてなんもかんもきれいであれば俺はそれでいい



なにもしないならなにもないという現実をぼくらは生きてきたはずだった巻きこまれることはあったぼくでもきみでもなんでもないものたちの思惑にわたしを左右されるわたしであるなどということのいつでも起こりうるという現実をあなたは生きてきたはずだっただから制作するのだった、わたしがいなけりゃなにもない、どうにもならない現実を世界にもたらしないとわたしは言ったかすかであってもかさねてつづけていまここを変えるしかなかった、黙るな



アンソニー・ボーデイン『クックズ・ツアー』がおもしろそう、著者がCIA出身のシェフで犯罪小説の書き手でもあるらしく、そこからしてすでになにかありそうではないか、土曜社の装丁もよい、前作『キッチン・コンフィデンシャル』もあわせて手に入れたい

クックズ・ツアー
前作『キッチン・コンフィデンシャル』
キッチン・コンフィデンシャル
ボーデイン『クックズ・ツアー』



辞書的意味を除いてみると、言葉に纏わる事事のわたしたちのそれぞれに固有であり、多く呼び起こされるものの一致しない、とそうした地点からはじめるだけでも執筆の途方のない話となるわけだが、だからこそ書ける文もある、振れ幅とでもいうのか、それはそれである、といった明晰や短絡を許さない野放図が、語のつらなりには常にひそんでいる、しかしだからといって求めるなにがあるわけでもない、読み手は読み手で独自にその読みかたを選びとればよく、書き手としての要求などあるはずもない、ただひとつ、額面通りに通りえない領域というものがある種の著物には存在し、そして秘匿された、あるいはされることなくひらかれたその手の野放図は書き手にのみ許されたものではない、読み手もまたなんらとらわれることなく私自身からの逸脱が可能である、ぼくらは自在を抉りだす、結局のところ、退屈したくないしされたくもないのだと思う

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