どうも、ゆきひらさぎりです
ついさっき存在を知って即座に登録しました

いや観るだろみせてくれ、こんなのあったんだね
映画、自分で撮影するという選択肢は(いまのところ、おそらく今後も、わからんけど)無いのですが、みずから撮る、つくりたいようにつくる、そうしてつくられたものをなんらかのかたち公開し、公開されたものが引力を持ち、ひかれあう、つながる、集まるという事象、作品はもちろんあつめられるためにつくられた場、あつめられることによって醸成される空気というものに対してはとても魅力を感じています
よしなんか視聴してくる
- 藪下雷太『わたしはアーティスト』を観て考えたこと
- 作品の話をほとんどしていないあたり重症という感じある
- 『極主夫道』ドラマ化するんかワレェ…
- 大橋翠石の虎がクソいかすんやが
- Amazonのkindle日替わりセールで買った波頭亮『論理的思考のコアスキル』を読んでいる
- うみべのねこになってる(うみねこなので)
- ずっとまよねこでいいのに。
- 身体を鍛えていても勉強していても「何を目指しているの?」と訊かれるんだけど
- edda『不老不死』を聴いている
- おもちろねこじゃった
- 問題意識を持つのは結構だが己の問題意識に基づいた問いでもって人を試すようなことをする手合いは厄介でしかないしそれだけならまだしもなんの準備もないままよくわからん質問を投げかけられたあげく偏向に根ざした自己本位性の権化のような憶測でもって一方的な批判をくわえられるとかもっと厄介でしかないしそもそも
- いまはよるねこ
藪下雷太『わたしはアーティスト』を観て考えたこと
わたしと以外の関係だとか、世界においての立ち位置だとか、自我だとか意義だとか存在価値だとか、そういったもののわからなさやわかれなさは経験のなかでしっかりわからされてゆくし形を変えてもゆくのだけれど、探りあててゆくようなところだってきっとあるのだけれど、ぼく自身その過程でずいぶん間違えてきたよなあと(正解なんてないとか言わないし今でもしっかり間違えつづけているとあえて書きたい)、疼くんだよなあと、やめてくださいよと、もうはっきりと思わされちゃったよね、好き
振りかえってみると、ぼくはすくなくとも本作の主人公尾崎沙織ほどわかりやすく行動してはいなかった
表現とか他人を巻きこむとか、ぜんぜん
いちばんめんどくさかった時期にやっていたことといえば勝手に鬱屈して勝手に呪うってことくらいで(といってもネットで悪意ある表現をするとかじゃない、不条理だとか他者の無神経さだとかいろいろなものに怒っていただけ、誰に何を言うでもなく、平和だね)他人をね、だって反応するのって簡単じゃない、めっちゃくちゃにかんたんで、だからそればかりしてたんですよ
なにができずともなにをやらずとも外界で起きる諸諸にはしっかり反応できてしまうんです、たやすく、SNSでもよく見られるよねそういうの、やった感だって出せますし、そこそこ発散できちゃうし
でもそれじゃつくる人間がいる場所にはぜったいに届かないんですよ、見えも聞こえもしない、完全に断絶してる、してました
もちろん、そうではない、そんなことはない、という思いちがいはできます
つくってるからって特別じゃないでしょ、なにも変わらないよね俺と、たいしたことない、やってない、こんなもんなんになるの、とかなんとか、都合の良い設定にしがみついて囀ることはできる
でも届いてない
通用もしません
何者でもない自分というものの強度をあげる結果にしかならないんです
提供された何か、公開された何かにしがみついて知った風なことを言う私が顕在化するだけなんです
くりかえしになりますが、ぼく自身だれにもなんにも繋がらない場所でぐるぐると頭の悪いことばかり考えていただけの時期があって、だからわかるんですけれどもいやなるべくならそんなわかりかたしないで生きていけるほうがいいとは思うんですけれどもとにかくそんな感じだったので書くのですが、振りかえってのたうちまわるくらいの痛痛しさなんてものを抱えきれないくらいに抱えこんじゃうかもしれないんだけれどもそれでも制作すればいいんじゃない、尾崎沙織のように、だってそっちのほうがおもしろいんだから(個人の見解です)
わたしの人生、わたしの感情、わたしの言葉
他人とうまくはやってけないし恋愛だなんてできやしない、わたしわたしわたしってそんなんばっかでうるさいわたしだなんだってんならそういうわたしごと作品にねじこんじまえばいいんじゃないのかなって
他人にかまけて消耗するくらいならどんなかたちでだって昇華させたほうがたのしいんだよなあ結局って
ありきたりでも、なんだって
黙っているほうがむずかしいんだし、いまなんてさ

作品の話をほとんどしていないあたり重症という感じある
だから見出しに感想って書かなかったんだけど、検索で飛んできた人がいたらこいつはいったい何を書いているんだって思うだろうな…
映画はおもしろかったです
差しはさまれる笑いや生活感が緩衝材になって楽しく視聴できました
いや実際どんなにシリアスになっても(なりたくても)おなかは空いちゃうし、ねえ、いろいろとありますから、そういう意味でのリアルさもよかったなあ
短篇(24分間)なのでさっと観られます
おすすめねこ
『極主夫道』ドラマ化するんかワレェ…
おめでたねこになってる
最近ではこの回が好き
大橋翠石の虎がクソいかすんやが
うおー、ねこー
Amazonのkindle日替わりセールで買った波頭亮『論理的思考のコアスキル』を読んでいる
第Ⅰ章では論理的思考が『思考』、『論理』、『論理展開』に分けて詳説され、第Ⅱ章では論理的思考においてコアとなる三つのスキルが紹介され、第Ⅲ章では各スキルを習得するための具体的方法が提示され、第Ⅳ章では十全な論理的思考を習得するための『必要条件』であるⅠ~Ⅲ章をふまえたうえで、脳が持つ『生得的に論理を間違える性質』を克服するための『十分条件』としてのクリティカル・シンキング(批判的思考)が示される
考えるって行為、なんとなくできちゃっている気がして内実というかそもそもどういう処理をしているのかってあんまりわかってなかったりするかもしれないんだけど、これを読んだらあーなるねこってなるねこなので……わからされちゃうので良いんじゃないかなって思いました
いま第Ⅰ章の終盤まで読んだところ、おもしろいです
セールは8/13限定じゃい
うみべのねこになってる(うみねこなので)
創作、自分にあった形式であるとか表現手段であるとかいったものは実践のなかで確かめてゆくしかないので、早い段階で固定するよりいろいろと手を出したほうがええんやないかと考えている
なるべくなら若いうちに(残り時間が多いうちに)
それ以外を経験することによって既知の領域が拡張されたり変異したり、そうした可能性もあるわけだし
ずっとまよねこでいいのに。
観たことなかった、このMV
MVそもそもそんなに観ないんだけど
いや、観たっけなこれ……忘れた
身体を鍛えていても勉強していても「何を目指しているの?」と訊かれるんだけど
目指すとかじゃない
楽しいからやってる
そういうのない?
なにかの為でもだれかの為でもなくやっていることがきみの人生にはない?
あとあと役に立つとか+になるとかそんなこと関係なくやっているってことがほんのひとつもあなたの世界にはない?
俺にはある
楽しいからやってる
楽しいってことと自分のためってこととはぜんぜん=じゃない、ちがうね
edda『不老不死』を聴いている
良いですね
おもちろねこじゃった
良いものつくるってことは大前提でまずそこができていないとはじまらない(良いものってなんだ)
でもそれだけじゃどうにもならんかったりするわけで、だから見せかたとか売りかたとか信用信頼の稼ぎ方なんてものを学ぶことになるのだけれども、だってなんも無いままクラウドファンディングに手を出したってまず成功しないんだから
ぼくは書いてどうこうってことはいまは考えてない、勉強はしているが、それだけ
でも、だからこの座談会はおもしろかった
そのへん意識している人にはええのじゃないかしらん

問題意識を持つのは結構だが己の問題意識に基づいた問いでもって人を試すようなことをする手合いは厄介でしかないしそれだけならまだしもなんの準備もないままよくわからん質問を投げかけられたあげく偏向に根ざした自己本位性の権化のような憶測でもって一方的な批判をくわえられるとかもっと厄介でしかないしそもそも
お前の問題はお前の問題であって俺の問題ではなくお前はお前の問題視する事象に対する見解を俺から引きだすことはできないといったことをいちいち伝えてやるほど俺は暇じゃないし、いや俺の話じゃないんだけどな
俺は俺が好きになった人のためになら時間を使うが(すこしだけだけど)好きでもない奴のことなんざ知らん
いまはよるねこ
ねこやすみのじかんねこ
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