日日の切れはし:20200818

動画

どうも、ゆきひらさぎりです
きみ、Tシャツってどうしてる?
俺は先日まで洋服掛けに吊るしたままにしていた
収納の手間が省けるからだ
だが今は畳んで仕舞っている
きれいにおさまると気分がいいからだ
他に理由はない


畳みかたはこの動画で学んだ
6:35あたりからはじまる

【Tシャツの畳み方】服は絶対重ねてはいけない!! ファッショニスタへの道 #2

ねこ、なでずにはいられないッ!

ということを今日一日かけて考えていた
どっかからねこふってこんかねこ

与えられてあたりまえ、という環境が創造性や能動性を奪うのだろうか

従うにせよ抗うにせよ型通りであるということに変わりはない
反応するのは簡単で、考えなくて済むという一点において極めて安逸な選択である
選択ならばまだいい
そうなるふうに育てられた人間もいる
育てられるままに育つ人間もいる


反応と書いた
ありがたいことに世界中に対象・・がある、いくらでも
生活圏に、モニタの向こうがわに、それが知らない誰かでも、知らないあなたであったとしても
提供されるかぎり生き生きと能動的な人間に、ぼくたちはなれるのかもしれない
しかし外れる・・・という発想、その為の能力には欠けるのかもしれない
必要ないから
ぼくらに自由は必要ない
自由はあなたを救わない


年齢は関係ない
枠のなかで囀るだけの子ども・・・がいくらでもいる
彼らはおそらく大丈夫・・・だろう、よかったね
だがまだ若いきみたちがこの先を生きてゆくのにそれでは厳しい
反応させなければならない
感じさせなければならない
想像させ、行動させ、かたちづくらせなければならない
それでなければ未来はない、きみにも、あるいはぼくにも
知らんけど

世界の解像度を上げると語によって想起されるイメージも豊かになる

花、といわれて思いうかぶもののどのくらいあるか、そしてそれはどのようなものか、という話です
知識がない、情報が足りない、情報同士がつながっていないと扱う言葉の強度もそれなりのものとなります
それなりであるということはそれなり以上のことはできないということで、そこが制作や鑑賞におけるネックとなりえます
いまよりずっと素晴らしいものを書きたい、もっともっとたくさんの人に届けたい、誰よりも深く作品の世界を味わいたい、己の理想を実現したい……勉強しないという選択肢はありませんね


ただ、ぼくがたまにやるような語義の拡張、逸脱、非在の像同士の強制的な接続からくる破綻した配列等はおすすめしません
それ自体が目的でないかぎり
だって伝わらないんだから、伝えたいんならやっちゃだめ
つってもわがみちをゆきねこになにをいってもむだねこじゃろがいやねんけどな
やめやめ
ねこやすみのじかんじゃい


ここからは追記なんですけど、語から思い描くものって書き手と読み手とでちがったりするわけじゃないですか
おなじ言葉なのにちがう、ということが往往にしてある
これってけっこう絶望的な状態なんですけど、でも希望でもあるよねっていう
だって誰にもわかられないでいられるのって最高に自由じゃない
わかりたい、とかわかられたいとか、わかるんだけどもわからなくって、俺はね、つまんねえなって思うから、いつも
そんなふうにわかられたがる俺でいたくねえなって
だから、そういう意味では俺ってめちゃくちゃ自由で、誰にだって捉えられたりなんてしないから、ねえ、ここに書いてることぜんぶ嘘かもしれないんだから、なんもかんもうそ、ねこ、ねこやすみ、おわり

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