どうも、ゆきひらさぎりです
第三者に相談を持ちかけるとき大切なのは渡せる情報をすべて渡すということで、これはもう基本中の基本なんですけれどもぼくの知る範囲そこをきっちりできる人って少ないんですよ
大抵は抜けがある
抜けがあると適切、的確な判断がくだせない、ということをわかっていないのかもしれません
よくあったのは、提供された情報から「こうじゃない?」というと「いやちがうねん、ここはこうだから…」とこちらの知らない話を後出ししてくるパターン
いや最初から言えと
この時点であーこれ以上こいつの相手すんの嫌だなー時間もったいねーとぼくはなっていました
他人に相談するタイプの人は気をつけた方がよいと思います
それはそれとして、最悪なのは、情報の抜けに気づかないまま助言を求める、気づかないまま助言する、助言を鵜呑みにする、の流れじゃない
対人関係の相談でそれが起っちゃうと、相談した側の認知が歪んで変なこじれかたをする
うまくゆくはずだった関係が壊れちゃったりね
なのでもらった助言は助言として、自分で考えて自分で判断するって姿勢はたもちたい
誰誰が言ってた!で他人を決めつけるのはちょっと話にならないな
誤解のままに誰かを否定してしまうとわりと取り返しがつかない
やってしまったことはやってしまったこととして残りつづけるし無かったことになんてならない
あとから間違っていたと気づいてもプライド高いとか人間性によっては困るかもね
一度悪化した関係がうまくゆくかどうかもそのへんが関係してくる
ぼくは基本どんなに嫌な態度を取られてもその理由を考えるので反射的に腹を立てたりはしないし自分に̚非があるかもしれんと(ネガティヴな傾向としてそうなるとかでなく)ある程度までは遡る
ぼく自身、たとえば会話だけでも緊張するような相手(過去にひとりだけ存在した)によくわからない発言をしてしまってそのまま関係が悪化した経験があるし、誤解を与える側の対人スキルも関わってくるからむずかしい
だから曲解と歪曲は許さんが誤解に基づいた攻撃性であれば仕方がないで済ますことにしている曲解と歪曲は許さんが、駄目だぞそういうの
あと誤解をとくつもりはないめんどうだから
勝手に嫌ってろ、俺は好きだけどねというスタンスで生を全うしたい
クソでか主語ってそれとわかって使うものじゃないのか
わかって使ってますよアピールが要るとかめんどうすぎん
というか使う側もわかっていない場合があるのか
つまりマジで言ってる場合が
いや、シリアスというかデリケートというか、そうした話題で安易に用いるのが問題になるってのはわからんでもない
ひっくるめられた全員が当てはまる事象ってそこまで無いだろうし
ただどのみちフィクションへの適性はあらわれますよ、扱い方とか反応とかに
世の中にはわからない人たちってのが確実にいるんで
あーマジでめんどうだな人間、滅ぶべきでは
何かあったら言ってとか相談にのるからとか簡単に言えることじゃない
大前提として自分の人生をきちんと生きられてないと駄目じゃないっていう
なんかすげえ不安定なひとがそういうこと言ってるのヤバさしか感じない
そんでどうするの責任とれるのってなっちゃう、どこまで権限あるの最後まで付きあえるのって
他人に頼らせる、頼られることで自己肯定感を高めたり承認欲求を満たしたり、よくある話で、交流好きのなかにはたまにその手の人種がいて、無自覚だろうとなんだろうと他人を巻きこむ時点でよくねえなと思っているわけです
他意が無くてもおなじ、有無なんか関係なくそうした状況をつくるのはよくねえ
なにより生活習慣とか人生観とかまともにアプデもかからんでどんどん古くなってくなか限られた範囲、乏しい経験からもっともらしい(しかし偏向した(通用した時代もあるとか根拠のない思いこみだとか))助言をすること自体けっこうな問題で、俺は勉強を辞めた老人に若い人にどうこう言ってほしくないの
ちゃんと聞いてくれる相手であればあるほどお前の駄目さや生きづらさが感染しかねんのだからやめたれという気持ちになる
聞き手をやってる人は相手がしっかり暮らせているか、過去じゃなく現在なにを勉強しているか、そのへんを観察して、こいつ滞ってんな、こいつちゃんとしてねえな、遊んでんな、と感じたら適当に聞き流す、もっともらしく聞こえることほど疑ってみるって態度でいると悪い影響を受けないかもしれん
いやもう若者が100年続けたってなんにもならない仕事に長期間従事するとかあたりまえに見てきてるしこれからどんどん辛くなるぞそれ加齢とともになってめっちゃ思っちゃうんだよね
親とか上司とか同僚とか同級生とか友達とかなんかそのへんが訳わからんこと言ってとりあえず働いときゃ良いんでしょみたいな思考回路ができあがってんじゃねえか、それほんとにしんどくなるから自分の好きなことや好きなもので生活できるよう動いとけ今から、後悔しかねんよ知らんけど
つーか状況とかシステムとかのなかでうまくやる方法なんかそのへんにいくらでも転がってるわけで、受け売りだったりするんだよな結局、自分で調べりゃもっとしっかりとした情報にたどりつける
聞く価値があるとしたら状況やシステムそのものをつくる、世界(観)を変えてゆくための助言で、そっちのが取りくんでいておもしろいでしょうっていう
マジで知らんけど
アルベルト・マングェルについてはまだほとんど知らない
なので著作を手に入れたいのだが、4000円か……となっている
いや、わかっているのだ
読書によって得られる(であろう)ものを考えれば安い
しかしだからといって無限にカートに放りこんでいては生活がなりたたない
タイミングを見計らって注文せねばならぬ
というわけで『読書の歴史 あるいは読者の歴史』に目をつけています
マングェルというとボルヘス
視力を失った彼の為に2年間ほど朗読役をつとめたという話が有名です
老人と若者ってのはなんとなく絵になる感じがあっていいですね
内容については松岡正剛氏の千夜千冊でも紹介されています
読みたさが際限なく高まってゆく…

運動や筋トレをしているひとにとっても重要

どんなに鍛えていても関係なく関節は駄目になるので
これが実現したら相当数が助かる
匿名さん、サポートありがとうございます
これでうえずにすむねこ…
たくさんたべてさらによいものをかくねこ
まめに活動できる人はFANBOXとかやるといいんじゃないって思うけどどうなの

まめに活動するってのがそもそも大変なんだが
毎日更新とか、ある程度時間が確保できないとむずかしいし
でも普段やることのコンテンツ化とかね、そのへんうまくやればいける気もしますよ
Mice Parade
品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)『名称未設定ファイル』を読んでいる
kindle版がお安くなっていたので買いました
実際悪い
そしてひょっとしたらちょっと嫌な気分になるかもしれない
一篇目の『猫を持ち上げるな』とか
しかしおもしろいのでおすすめ
『みちるちゃんの呪い』好きですね
インターネット、この現実よりもずっとたやすく誰にでも(あるいは自分自身に)なれてしまうじゃない
なんかその手の虚構性(あるいは事実性)が生活とか精神とか、つまりは私を侵食して曖昧になったりぼやけたり崩れたりする感じが読んでいてあって、良いです
動画文化の衰退が起こりうるとしたら大量視聴してきた層が時間の浪費に気づいて距離を置いちゃってそうなるとかですか知らんけど
ありうる話ではある
実際いくら観たってそれだけじゃ人生どうにもならないわけで、得たものを行動に反映させたり行動そのもののきっかけにしたり、そうした使い方をしないかぎり消費しつづけて老衰して終わりっていう現実があるわけで、だから、あーやべえなと、気づいた人からちょっと離れるよねたぶん
だから音声メディアにシフトする人が増えているのもうなずけて、あれなら画面を見なくていいしながらで大丈夫だから、聴く側も解放されるところある
もちろんYouTube他動画でやれることはいくらでもあるだろうし伸びもするんだろうけれども時代の流れのなかでじゃあ今なにをはじめるかってなったらちょっと考えなきゃならんのかな、つってもとりあえずはじめちゃって改善調整してゆく人が強かったりするんだけど
ちなみにいまぼくが関心を持っているのはstand.fmです

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