日日の切れはし:20200903

日常

どうも、ゆきひらさぎりです
平等というものが厄介なのはその概念が敷衍され浸透するほどにわずかな不平等が際立つようになるからで、たとえばぼくなんかはお年玉の額が兄より少ないことに腹を立てていたんですが、いやもう年齢一桁の頃なんですけれども4つ違いでしたしまあそらあるだろうなと、あるでしょうそれくらいのことは、しかしそんな些細な差異であっても当時のぼくはしっかり傷ついていて、意味がわからなかったんですね、なんで自分がそんな扱いをうけるのか、たぶんまわりの誰も納得のゆく説明はできなかったと思うんですが、実際されませんでしたし、だからとても怒っていた
金額自体の問題ではありませんよ、いちおう


と、そんな感じで大小さまざまいろいろな違い・・を見せられながら育ったのですが、差別なり区別なり呼び方はなんでも、とにかくやるんだったら不満がでないように上手く仕組んだほうが良いというのがそうした少年期をおくった者としての感想で、なぜなら当然だと思わせるくらい周到にやらないと相手(この場合は子)からの信用を失うからです
そもそもろくに説明もできないことを平気で押しつけるような人間が真摯に学ぶ習慣など持っているはずもなく、やることと言えば思いこみや決めつけで揚げ足をとる、徹底的に叩く、そんなものです
ぼくも10代の頭あたりで親に自分の考えを話すということを完全にやめましたし、縁を切ってはいませんがいまだに表面的なつきあいで済ませています
家族だとかなんだとか、間柄なんてものはどうでもよくて、単純に、人間と関わるってそんな簡単じゃないし、やったことは全部返ってくるよどんなかたちでかはその時になるまでわからないけどってことですね
いや、マジで子育てとかできる気しねえな俺は
反面教師のおかげでリソース全部注ぎたくなるもんそこに
おこづかいだって平等にしちゃうしね

己の歪さを自覚してそんでどうすんのってたまに思うんだけど

ぼくらはぼくらのゆがんだぼくと決着をつけることも死ぬまで引きずることもできるわけですが、きみはどうしてんの
これがわたしだなんて言って開き直ってもいいし絶対嫌だなんて言って捩じ切っちゃてもいいし好きにすりゃなんでも、だけどひとりで生きないのでしたら影響がある、まわりに、どうしようってなる、ならない?

俺も偏りとかそういうのってわかってて自分で、と書きつつ具体的なところがちょっと思いついてないんですけどね今、ふふ、まああるんですよ、きっとね、たくさん、どうする?
気づけないものもあるよね、指摘されたり読んだり観たりしてあーこれ俺だとか、いや俺自身はそれはほぼ無いんだけどありそうだよねっていう、この、こいつ、頭のおかしい野郎は俺だ、俺なんだ、とかって過去を悔いてみたりね、嫌だな、まあいいやそんな感じで気づけないことってけっこうある、だからいろいろな経験をしておきたいね、気づいてゆきたいねって話(気づかないほうが平和な場合もあるけど)

だってさあ、わかって自分で選んだ自分と環境につくられた自分とじゃ支配度がちがうわけよ、支配度ってなに? よくわからんけどなんかそういうパラメータみたいなものが存在して、先にあるものを受け容れる覚悟を持ってきちんと選択した自分でないとやっぱり低いわけ、なんか今日も生きてるけどこれわたしの人生じゃなくない? しんどくない? 本当にこのわたしがわたしなの? 本当にこんなことしなきゃいけないの? こんな生き方しかできないの? こんな考え方しかできないの? こんなわたしになりたかったの? なんも間違ってないはずなのになんでこんな目にあうの? わたしが悪いんですか? もうどうしようもないんですか? 選択肢ないんですか? あるんですかよかったいやでもそれはやりたくないっていうかなんか他に……無い? え、どうしたらいいですか? どうすれば? ってなっちゃって困るんですよ、なるのか? 知らんけど

わかっていたってどうにもならないところだってあるし、そう簡単にころころと変われるものでもないのかもしれない、人間なんて、でもそれと知ったうえでそんでも切実さを無くさないでいたいとは思う

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