どうも、ゆきひらさぎりです
南部鉄瓶について
名前くらいしか知らなかったのでちょっと調べてみたのだが、あーこれかと
とにかくかたちが良い
ディテールも良い
鉄瓶という以上鉄でできてるんだけど無骨さの中にたしかなうつくしさがあって、ずっと眺めていられる感じがする
わたしも使ってみたい
ねこについて、何も知らないけれど
ぼくのように言いたいことのない人間ほどあるふうな文を書きちらしがち
しかしなにひとつ語れてなどいないのである
おとなしく作品を書いておけばよいのだけれどもいつでもかたちにできるわけではないのでそのときの思いつきを書き残しているにすぎない
意味はない、あるひとにはあるのかもしれない、あるとかないとかそういうんじゃないのかもしれないそもそも
なんだっていい
ただ、これは不毛であったり無駄であったりばかげているとかくだらないとかいったものでは断じてない
なぜなら、言いたいことはない、言いたいことはないが、しかし意思があるからだ
誰だかにむかう、どこだかにむかう、あるいは自分自身であるかもしれないがともかくも志向性の、ともすれば無志向の意思(意志)が
語に落としこんだ瞬間それは嘘になってしまうのだけれども、ありふれて、月並みで、なんでもない、どこかのだれかをなぞったノイズにすぎなくなるのだけれども、たしかにある、ある、ということをわたしは知っている、知っている、という事実が重要なのである
結局のところ届くこともなくわかることもなくわかられることもない何かがある、ということ、あったということを記しているだけなのかもしれない、記していたいだけなのかもしれない、それがわたしの作品で、振りかえってみるとそうした像のよく見られる、気のせいではないおそらく
なんの意味もない
ここにはなにもない
でもすべてがあるね、わたしとか、きみの
言葉に触れるという行為は言葉のさきにあったものに触れるための行為であってそれとわかって扱わなければ嘘を嘘のままに受け取ってしまいかねない
そうじゃなくて、文字どおりの意味じゃなくてそんなつもりじゃなくてわたしは、ぼくは、といったことを延延とくりかえしてしまいかねない
だから意思を書く
だから意思を読む
言葉のさきに、あるものを
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