どうも、ゆきひらさぎりです
私を語ることのむずかしさというのはやはりあって、うちに渦巻くあれやこれやを言葉に落としこもうとしたとたんに「あれこんなくだらないことだっけ」だとか「こんなつまらない表現しかできないの」だとかいった思考が並行して展開される、えーなんでってなる
そこにはもちろん教養の度合いというか、深度とかひろがりとかいったものも関係しているのだけれどもそれだけじゃなくて、そもそも適切かつ気分にあった言葉が存在しない場合というのもあって、都合の良い言葉がね、無いの
一部の書き手の作品ってのはそうしたときうまれる
言葉のほどかれことばへと結びなおされる、その作業をぼくや他の誰だかはやっていて、ぼくらは僕らを僕らにとってなじみの薄い(あるいはこれっぽっちも無い)ことばでもって語りなおすんだけれどもあるいは才能ってのはそうした能力をさすのかもしれないなんて最近考えている、うそ、いま思いついた
言葉からことばへ
私からわたしへ
語りは騙り
かたりなおしの果てになにがあるんだろうねえ
とにかく録れない
どうしてもノイズが入ってしまう…
いけた
お風呂あがりだとわりといける(なぜ
偏愛という言葉から想起されるのは
球体関節人形とか書物とかミニチュアとかいったものだろうか
思いうかべるだけで特段好むわけではないが
書物に関しては中身によるし
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