最終です。次の便はありません。永遠にさよならです。
この星が、あなたとぼくと、ふたたび逢うことはないでしょう。はやくお乗りなさい。虚气は、こころの在り様もまた、知らず置き換えてゆくのです。
さあ。前をむいて、前だけを見て、三千螺旋のはるかむこうまで、あなたを待つ、だれかの腕の中までは、けっして振りかえらないで。
こぽこぽと小気味よく泡だつ鎔蒼に、星のいくつも浮かんでたゆたうさまを、ぼくは毎晩観測し、記録し、梱り、渡りの鳥の配線の幾本かに絡ませて、あとは大抵眠っています。陽の朽ちて久しいものですから、朝の、昼の、夕の地表を去ってずいぶんと経つものですから、配電の絶えて明け忘れた夜の永いこと続いたものですから、もう、すこしばかりおかしくなったものですから、他にしようのないものですから。
記録、というのは大変に便利なもので、記憶の不得手なわたしにとっては、あらゆる顛末のまるで脳みそに残らないぼく(わたしだったろうか)にとっては、欠かさざる行為であります。このテクストも、書いた先から抜けおちて、もはや還りません。
しかし夢は見るので、やはりどこかでわたしはわたし(あるいはぼく)を、ひょっとしたらあなた(これを読んでいるあなたです。きみかも)をも憶えているのでしょう。だけど、思い出せない思い出に、なんの価値があるっていうんだ。
夜の夢に滲んで、ぼやけた星が、あわやいだ光の淵に連環を結ぶ。愛し子は、月にまぎれてわたしを見失う。
ささやいたら、ね、ちいさな舟みたいに、とおい岸辺にながれつく。
だれにわらったの、だれにないたの、だれのために、きみ。
星の海に酔って、立っていられない。夜の見る、ばかみたいな夢に、透明な青を零してひびく音叉は、ちいさくふるえて、あなたみたいです。遠い光をめざしたら、もうかえらない。
おかあさんは、しんぱいです。あなたがさむいおもいをしていないか。せめて、あなたをすきなだれかが、あなたのそばにいてくれたなら。
だって、あなたはとてもさびしがりやさんでした。おかあさんがでかけると、いつもないているこでした(どうしてしっているかって? きのう、おねえちゃんがこっそりおしえてくれたからです。おこらないであげて、わるいのは、おかあさん)。いま、むねがくるしくなって、だきしめて、ちいさなてが、わたしのせなかにとどかなかったひのことを、どうしてこんなにもいとおしくおもいだすのでしょうか。ちがう、いつも、いつもよ、いまも、おかあさんは、あなたにあいたい。あなたがいなくてさびしい。あなたに、もいちどあえたなら、どんなにしあわせだろうか、そればかりかんがえています。だめなおかあさんだって、わらってくれますか。もうじかんがありません。これがさいごのおてがみになります。このほしの、すこしずつ、ほんとうにすこしずつとけて、はてのないそらと、えーてると、ひとつになって、そしたらあなたのそばに、こんどはずっと、いられるのかもしれません。
きれいな音の鳴る、響く宇宙に、君と言葉を砕いた銀色の砂を流しては、わたしは爪のあいだの、滲んでとれないかけらを見つめ、ひとりたたずんで。
ばべるのおはなしを、よんだのよ。
かみさまは、こどもたちを、おしゃべりたちを、うるさいばかどもを、たかいたかいそらからにらみつけて、おまえたちは、あしや、てばかりばたばたして、くちといえば、ぱくぱくして、たいへんにやかましくて、はなもちならなくて、がまんがならなくて、したくもなくて、だから、はこぶねはひとつしかあげません、わたし、いじわるなんだよって、いって、わらって、なんでないたの、かみさまは。
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