人がまだ、ここにもどこにもいくらもほろほろいた頃は、星と星とをむすぶ扉も閉じきるまもなくひらかれて、たくさんの、きれいな軌跡が夜をなよかに染めあげて、傍にも果てにもいろめいて、あざやかで、けれどもほんのすこしずつ、そうしたみぎりは茫として、ついにはかけらも見えなくなって、これまであったこと、たしかだったはずのこと、ぜんぶが夢だったんじゃないか、誰もが知らずに信じこんでいただけなんじゃないか、そう嘯かれるようになって、だからぼくらもほんとうなんてなんにもわからないおろかなこどものままおとなになんてならないでいられた、ずっと、彼女にあうまでは、きみにあうまでは、ルーレカ。「えいえんをあげる」きみがはじめに零したことばを、いまも忘れられないでいる。ほんとうだけがあった。ほんとうだけがきみだった。そんなのどうせでたらめだって、さえぎる声さえでなかった。ぼくはそれきり死をうしなった。薄陽に溶けいる翳みたいに、あっさりと。
透きとおるような色をしていた。誰ともちがってやわらかで、朝より昼より夜雛に匂う、そんな色を。あの子はあの子の神さまを、機械仕掛けのちいさな形代をつれていて、だめっていってもね、ついてくるんだよって、ささやいて、わたしたち、何度もくちづけた。言葉が好きだったあなたは、いつにも知れない古びたひびきを星にゆきわたらせて、廻って還る漣を、月花みたいに抱きながら、どうしてかしら、泣いていたのは。
星の盪かされてそそぐ、あま絲は軸となってつらなって、大気の層に撓咲きの百花を描いてゆく。そうした無数の導管の、記録の月にも若く膜が、夜に消えいる祈りの言葉に似たさやめきをたてて、あなたをあらわすのだとわたしには思われた。
崩え日のあわいにまろやいで明けきるそぶりもない。緋ぼたんづたいに土うつ露華の一掬が、ととはたと、みとむつとたまさかに環咲し、多幻の端尺をつくろい葬って映ずる水月をゆらす。はてのはてまでつらぬけば、身にとおしうるつめたさの臨極にまでゆきすぎてあなたみたい、霧みたいに朧として、朧めいて見えまがう、そぞろがましくよこたわってあるものの、終の季節に初音の妙の帯のようにうつくしくひらめいた。篝に祓の末葉の渦の、わかちがたくつながれたふうなふたりだった。
吟ずる宵にかわす反故もない、そうしたわたしたちであることになれきっていたせいか、臲卼いつわる妙径の、ゆきはてさえも春さきのわたしは知らないままで、まだ数えられたころの夏の縮景におさない肺腑をしなわせては噎びいっていた。ほどなく定まる円圏に、実覚されうるいかなる手掛かりもうつりはしなかったけれど、それでもあなたのひと節だけは疑いようもなくわたしを竄定し、桐の一葉にたとえる季世も経る折とても無く揺りおこされた時間、織りなす辺際を幾度でも改葬するのだった。
あおく霞がかった荒れ野のつめたい色彩を、さしなみあなたと眺めていた。あらゆるかたちがいかなるちがったありようもなく配されて、やがてはうつろいゆくものとたがいに知れきったなか、わたしはあなたにいくつもの物語をきかせて暮らしたのだった。木いちご摘みのだれかの話。初霜浚いのだれかの話。詩魔におぼれただれかの話。夕顔白む昔日に、遠くこの眼にみとめがたく燃えあがる燈を、星星になぞらえられた言葉を天穹に倒映してわたしは、尾花の翳の搖けるようにあなたを此岸に縫いよじりたいのだと、ただそれだけを考えていたのかもしれなかった。
ぬぐいさるにはあまりに深いいろどりに、ゆたゆたとひたされた夜、つづくかぎりの夜をこの手に透かした。朔の残響はあなたのたなごころよりもたよりなげな線形を描いては、はるかにまじわる言葉のさししめす、蔽いがたくあらわれたことごとの、しかしたどりがたい真実のように、不断にうちつける風のようにわたしをさぐりぬけてゆく。そうしてきわまりもなく語りなおされながら、なお尽くせえぬものの呼びおこす深遠においてのみたがいの姿を認めあうわたしたちだった。消しさりがたく縁る聖痕の落叉の澱となって言語へと包括されるなか、糾われるまま音もなく毀れゆく紡錘形の天体群を、あなたはあるいはかえりみただろうか。
黄昏のうちに顕現する、罅われた星の吐息のような風をあなたと待っていた。微光に老いた鳥の群翳が、花岸に逆巻きにわかに凝結する。遠く滅びさった言葉はあなたの記述によって神話の外殻としての幾何模様、無限の迷宮を可視と不可視のあわいへと投射し、かすれた筆跡をたどるように、紙背に仄めく符牒をあまさず幻視するようにわたしたちをも沈かせた。諸所をつらぬく魔術的器官をなんらのさまたげもなく往きかえり、不壊の契りの尽を来す、そうした羈旅の道辻に、傾いだ日華の埋け火のようなほとりをあなたと待っていた。
なにを欲しがることもないわたしであったとそうした話をたびたびきかされ長じたこのわたしであるらしかった。生まれにともなうはたらきとのちのちにあたえられたはたらきとがなんらのつながるいとをも持ちえずことなる領域に配されたのだからそれはそうだろうと考えるわたしらしかった。無稽の記憶のこぼたれつづけてその自覚のあるあなたらしかった。書き文字ごしにもさかのぼりがたく改竄された異体の字句をながめるような心地のするあなたらしかった。元元やどした言葉の意味の、かすめているのかいないのか、どうにも知れずに知れないままの情景を手近の画布に描きおこしたがるあなたであるらしかった。
はだれの霜の枯れ枉月、糜爛の風にまかれて睡る、夜、くじなきの、うじなへのつてなきを詠じて朗朗といじやかなる花体のみのもに灼熱する、紅絲撚りのうつほが苑にすみの螺旋の千桐暮鐘、やうやうつきはて澪はてく神、しろの汝の染むはすかひ衣の、魄のあへえず愁ふせもなし。
秋明けを摺り斑かしたような初凪の朝、水底にほつれたことばのいくつかをひろいあげたわたしは、孤涯になぞえた風気をたどり、あなたへゆきつくしるべの瓊音、夕澄みわたる白瀬の澪に返哥をしのばせた。はなやぎ憩うゆびさえ散れて頬にもとけない遠空の、うつさぬ依骸に深度を遺した銀淡色の秘めごとは、いさめにうれえる火影のうろをもあえかとひもとき揺蕩し、さきはてむこうの月沙を、さゆらぐ緑野のかぎろいを、自生の花譜へと添いぬらしてゆく。滴つ過現の偶詠は、在りし時日のひと翳の、と、と、と、と、あのとをかえして纏ろい撓む。知る玲瓏のする。知る佳芳のする。梓の弦に、八重と瑞花の咲きほとる。
夢のまひるにまだ書かれないことばをさがした。わたしはあなたに、まだ読まれないことばばかりを捧げたかった。
わたしは折折あなたになって、あなたはそしたらわたしになって、わたしはやっぱり、あなたになって、あなたの言葉のからっぽの、意味なんてなんにもないくだらないひびきくらい星づく夜にすっかり浸してぬれちゃって、なくさなくったってよかったもの、わすれなくったってよかったもの、たくさんたくさん、あなたにつなぎとめていられたらよかったのに、なんて思ってる。つまらないことが、どうにもならないことがわたしのなかにうずまいて、やかましい、うるさい命のあんまりなうすっぺらさ、名前もつかないうすっぺらな色のなくみたいなこえなんか、ばかみたいだっていまでもわらってよ。
捧げる禱りも聲も無い。月の凍てつく夜ならば。
末枯れの燈に夜天をのぞむ者も失せはてて久しかった。詮無いことだと知りえてなおもおさないうちにうらむ心のはらいようもなくふさぎこんで閲したわたしはだから、そうしたどこかのつめたい朝まだきにあなたと出会って心奥の、鬱積した流れのいちどきに澄みわたるはたらきにまわりの誰より自身でおどろいたものだった。仕掛の四肢の生身ほどには立ちまわりようのなくしくまれてある。わたしはわたしを隠しだてようもなくあなたにいつでも読まれうる。あなたはなのに、わたしを知れないわたしのままに捨ておいて、見つめるきりでかたわらで、ものおもいにふけるふうだった。眉睫の暮れに烟霞の吹霽るきざしもなく、不明瞭な塔の周囲には寥寥たる光芒の乱開してめずらかで、惚けたわたしはあなたの誘いに疑いひとつ抱けないままつきそって歩きつづけた。建造物は星の核へと直結し、ゆえにあらゆる経路の断たれて聳立してあるものとそう信じられてわたしも一度も確かめないでいたけれど、いざとたどれば稚拙きわまる贋書きぞろいの径道で、たやすく下端へゆきつく始末だった。内部には虚無と鏗鏘だけが満ちみちてあった。あなたは慈しむように白壁をなぞり、やがてうっすらと、なめらかな音律をつむぎはじめた。ふたつのひびきは流体めいてまじりあい、ほどなく亡びの哥となった。久遠にゆきかうものたちの、はじめのおわりの哥だった。
熟れぶきて衍華けざやぐよみじ埜のひさぎふたげどあがちごとなたえ。
彼此の境のかわりばえのなさをひやかすように、倒伏する穀物畠のいたるところに積石塚の際だって在った。来落する陽光はもののおもてをすき目なく塗りそめて、熱せられれば何らかの生を呼ぶ感じもあったがそうしたことはついぞなく、だからといってあなたはにぶく白いかけらをならべることをやめたりはしなかった。わたしも、あなたにならってそうして暮らした。誰のためでもないはずだった。けれどもやがて、わたしたちがそれと認めうるものごとの形がほつれはじめると、ほつれゆくもののためにそうして暮らすようになった。贖うように。赦したかったのか、赦されたかったのか、わたしも、あなたもわからないままに、祈りの意味すらあきらかになんてならないいまを、つみかさねてはうしなってゆくのだった。
捨てうるすべてを捨てた身の、投げうつ野末に異型が据えられてあった。知ったかたちのいずれも似ない、起結の端さえ窺いしれないゆがみなりは、見るために見られることをきらってか、数刻うつせば視界の随処に黒沙を生じさせた。際も質感もなく、ぼんやりと大気にとけこんでゆるるかで、触れえぬそばから透過する、奇妙な感覚をもたらすしなやかな分劃をわたしは愛し、其処であなたを仮構した。よるべなき世の知友として。あなたはおさなくつたない舌に、かききらしてゆらめく碑碣をあまくとろかし存えつづけた。幾億兆もの終極の、既往にあなたが去ったのは、あるいは不可知の幽冥に、葉越しの現をかいまみたがゆえであろうか。
残照に眩むくらいおだやかな息づかいが、翠霞にぼやけた韻律のように糅然を統べくくる。手折ってつなげる言の葉の、亡影あらわすたったひとつのよすがにさえもなりはしないこと、誰よりわかってささやいてわたし、捧げる詞翰の潰えるさきから波うつ無涯の野の果ての、遠咲く花身のいくひらか、いくすじか、朱のふち、蜜のあと、ぜんぶをかならず見てほしいだなんてわがままばかりでいたくって、わたし、好きだって、そんなふざけた夢だって、さめないままにもいつにもつづいたくらい好きだって、あなたに言いたかった。
へだてのこちらにふぞろえ裁ちの花絹が鏤められてあった。ゆくもののゆく間際、手向けられた燈の余映だった。枢の片抜けにぬけて戻る由もない、無始曠劫のわたしの気先につうずるころには季節の誰にも忘れられ、寄る辺なきものたちの痕跡だけが悠遠にゆたゆたとゆれているだろう。生まれたものたち、死にゆくものたち、生まれそこねたものたちの忌のことごとくがただひとりあなたへと附会されたようだった。
花下陰に水穂の濫冘する。零露は綢繆のうちに絲をあやどり虚漠をなしてゆく。「ゆめをみているの」追號いくつも拾いあつめてそれがなんだっていうの。「とおいくにのゆめ」寓言無尽にさんざめかしてそれがなんだっていうの。「のろいのゆめ」噬齧狂いの顖門くらいとじきれないでそれがなんだっていうの。「さめないゆめ」まだうまれないわたしのお話ばかりあなたはすればいい。「あいみたいなゆめ」もうかえらないだれかのお話ばかりすれば、あなたはそれで、それだけでいい。「あのこのゆめ」まだない空にまだない花実をのぞむくらいあさはかなあざらかないつわりまみれのくぬぎのこのてにかさねてよ。紛わすように。欺くように。
ことなる調べの無作為な点綴は途絶えがちな誰かの記憶のように三有を浮揚し、死者だけがあなたを忘じうるという約束ごとをくりかえしわたしに思いおこさせた。言葉と言葉の無際限の調和、十全たる結節は鏡にさえもうつることなく時の間のめまいのように四界へと流れだしてゆく。八潮路は薄明りにも似た落莫を錯綜させてはかりがたく白み、綺想の厚くぬりこめられた都市群は風を遮るように幅広の長城を舫い綱として偏在していた。浮彫の白蘞が示顕するところのものの、符合の古様に剝離して昏冥のうちに隣接する。間隙を埋める蝕の浸淫は、朱曦に焦がれの夢更かくしてわたしにだって紡がせない。
叛逆の徒は造化の業を神より盗みだしたという。あらゆる罪禍のあなたに端をはっしたものとするならば、放射と撹拌、溯源と綜合のきわまりのない流転の究竟を叙述しうるのもやはりあなたであるのかもしれない。すべてのわたしを通過する、祈望のはてに描かれる星の変遷と放埓、死をもを誰かは呪うけど、底流してとどまることのないこの感情を、語りえぬものの孕む微かな熱を、わたしは捧げもってあなたを永遠に忘れたりなんてしない。
経巡るわたしの散佚する星霜を見るわたし、ごとくちはてたわたしとはちがったわたしの包摂を経るわたし、を見るあなたをこのわたしは見ているの、見ていたの、見ていたかったの、いつまでも。
日の許多にかゆきさりて、ゆたうつ月にもおうせにも、かさねの花布の荒織の、四季の消咲きの華下の音ながる。端に慧の劫の纏繞の、あわうく羅紗にいろづいていまは、奏摺りかうてのめの背の鳴る辺、おしごのかたらうついの世の落魄があまくあなたをゆらすのでした。
伽藍のいずれも靊霳群舞にあざればまれたらしく、馨逸甚至を呈して色獄を思わせた。不羈玄縮の妙理に及ぶ手もないわたしは稚児にもおとるあらがいこそすれほどもなくしてつかれはて、闇莫の郷にかきくれるばかりだったけれど、散り敷きの衆芳を流下するあなたははなやいできれいで、なのに追懐するにはあまりにとぼしい自己しか知りえないわたし、累夜におぼれたさきの今日だけが残されたいまこのときのわたしはまじわりがたくあるあなたの片影の此土にもどこにも二度とは見出せないのだった。
霄壌蒼く透徹したころの朝、春霞にまどろむ初花みたいにあなたは汀に腰掛けて、浸したさきからささめかしてあわく、湖面にひざしのたわむれを、見るともなく見るふうにして在った。ひとつ、ふたつ、葉擦れにかえたしらせにも、あなたは毫釐もみじろぎしない。わたしはすこしくためらって、それからいくらかの時をあなたと過ごした。おだやかな、旅の途上にひさしい安逸だった。中空のうつくしく晴れわたった頃、ようよう立ちあがろうとしてわたしは、あなたがいつしかほそくなよやかな指をこの身にやさしくからませていることに気がついた。時折なにかを伝えるように、鼓動のようにふるえる手は、空空として霊妙で、しかし確かな息吹を感じさせた。「あまいの」不意の聲音に向きなおると、あなたは銀色の、潤んだようにひかりのたゆたう双眸を真っ直ぐにわたしへと向けて、口唇を愛らしくたゆませながら、紅く艶かしい舌先をのぞかせて微笑んだ。「つきみたいに」星みたいに? あなたはちいさくうなずくと、深く、ふかく息をつき、ふたたびわたしを見なかった。
徒とほとほる水烟しるべ、逢ふにあふ手もおふ背もしらず、ただに空音と波うちねぶる、臥して折りをる日數わび、わたしき雲居にまじはりくらし、千沙虚實に侈放を盡す、妙咲一枝に萬景寤めて、無何有あらはす恒風にゑふ。
窓辺に夜の収束する気配があった。弧矢の軌道は上書きされた躔次をふたたび追うこともない。あなたはもう、二度とわたしをつれださない。なのにね、それでも待つの、なんて、誰にでもなくわたしは言って、言って、言って、言ってね、ほころびはじめたこの手だってだれよりとおくにのばしてさ、のばしたってつかめない、つかみようのないひかり、つきせぬひかりをとらえてよって、すべてのねがいをかなえてよって、わらいとばして、さらってよって、ここから、わたしを、だなんて、ばかみたいにゆめみてる、ばかみたいにしんじてる、ばかみたいに、あなたをあいしてる。
言葉のひびきとかたちとのみが取りのこされたように漂游する。口承過程に意味のとけさってなおも理体に息づくようで、つかみかねて仮象域へと追葬される過客としてのあなたの像のとりとめもなくわたしのうちにうつしだされては、途絶することなく鳴動しつづける音節との類比をはてしなくくりかえした朽ちた歳月みたいにほのかなぬくもりを感じさせた。外囲にあらわれるところのものの、生得された本性の遷移に追従するのだとすれば、あるいはあの時、あなたはすでに恒常的な運動を宿命づけられていたのかもしれない。神殿奥部に朗朗わたる、謡に呼ばれてもどりうるなにをももはやあるまいが、それでもわたしはくりかえされる日日に贖罪としての意義を見いださずにはいられなかった。
あまねくつうずる定まりの、押しなべ把住されたいま、百代万化は残る隈なく言語活動の埒外において捉えられ、語られることなく語られる、消費される、摩耗する、そうした領域にあってただひとり、あなただけが因果の露とものぞかせぬままにわたしの感覚器官をよって全天を統御し、忘失された旋律と事物との無窮の連繋のなか、方図としての廃苑を結像せしめたのだった。完全な一秒が、完全なことばのもといやはてもなくつみかさねられてゆく。孤独と知れた概念の、真実塵ともかすめないでばかげたつらなりなんてうちすててわたし、あなたにいたれたものと信じて疑わないでいた。
ただあるきりで知りえない、知りたくなんてなかったことの拾遺しがたく散らされた花の下、睡るわたしは水蔭の、うつろうひかりの多元のへりを、あまいかおりのさざなみの、暮れいろの、乱れ咲きにさいて降る縢の夢似のうつ辺にほどけたあなたの聲いろついと切りとりならべた今日のひのゆく果てにもぬかるむうわごとみたいなとつくにの苑、とうに廃れた言葉のつがり、切りはぎの細殿をあるくように何度だってなぞりたどって泣きたかった。
意味も道理もさとらぬままにわたしはさまよっていた。いつとも知れずにはじめられた旅の幾人目かの継手としてのこのわたしなのだといまならば理解できるが、当時はただ漫然と、死なないために生きる何者かでしかなかった。あなたはわたしに近しいか、より高次の存在であるらしかった。そうしたあなたであることは、老いを、死を、あらゆるおそれを遠ざけたあなたであるということは、あなたをあらわすあらゆる事柄がはっきりと語ってあった。わたしはあなたを見とどけたかった。しかしそれはわたしの役割ではないようだった。わたしたちは程なくして袂をわかったが、あの時間、旬月の一切を、わたしはいまでも偲んでやまない。
在り甲斐知らぬ九亖千夜、深き香のつみ逢瀬、水漬くみなとこ行方も無くて、うず葉にさ零る戀とてあらず。
結玻璃の槽の満たされて、銀華の残る夜の暮れはてに倣うように息のつづかない、とぎれとぎれの呼気をした、もどらない、もどりようもないわたしをあなたとふたり待ちつづけた。尽きてつくろうゆびもなく、絶えてよりそうねつもなく、ゆく路もはう沙もなくとむらう言もなく、うつろわざる身の流氓の相似を無明の野辺にうつしてわたしは、いつともしれないいつかのわたしのむこうがわ、すこしくのぞいたあなたのうろをなぞりぬいてやがて、どうした時間もすべてはひとしく完全で、いかなるたがえたありようも、ありうべきどのような軸もなかったことをようやくにわかりはじめていた。
分節されてまじわりようもなくあきらかなもの、たしかな輪廓を有するものへの偏狂性を密積させたふうな畸形の夢の螺旋におちいったさき、錬金術的試みの反芻に外界の干渉の一切を拒みつづけたわたしだけが、円転する摂理の拒絶の発露としての濫造されたわたしたちへと至りえたのだった。知ることの、それ自体が朽廃した定律の崩壊を示してあなたを応化したものか。めぐりくる極点の、そのもののうちへと還る機宜のおとずれを、わたしは切に望んでいる。
継ぎあうそばからあふれては、奈落に縫い目を形成し、剪断される、くりかえす、うるさい、うるさいあなたの重複を、わたしはとても気にいって、散文詩めいた減衰過程にきらきらと記述されてゆくちいさな世界のちいさな欠片のちいさな分裂組織のちいさな、ちいさな、絲くずみたいな虚言のかわいらしさに似た客星をさがしては、不可逆ぶってゆかしい運行の内側から崩壊させてあそんだ。
いつにもけっしてとらえない、はかられえない胸宇を游動するあなたと知ってわたしは慕った。剥落からこちら、拾われそこねた時節とてもそれぞれに紐づけられたかたりがかつてはあったように、遠鳴りをきいてききわけてくぎり、穂状にふくれあがった空を拉いでは実事一縷もところせきなく押延べ統べゆくあなたによって、透き板むこうにみつめるわたし、みつめられるわたしもまた、のがれようもなく絆されたのだった。
あんまり自然でなんにもないと意識にだってのぼらないのだから、あなたのいる今日だとかここだとかどこだとかってことだってわたしは考えたりなんてしたくはなかったのだから、そうしてつづく日のことなる日との差異だなんてもののことだって考えるいまなんて欲しくなんてなかったのだから、あなたのいないいつかなんてどうしたって捩じきって──ううん、あなたとあなたでないものとがちがっていて、なにかがたしかにがちがっていて、けれどもなにがちがってなにがちがわないかなんて気づかないでいられたらよかったなんて思う、思ってしまうのはどうしてなんて、どうだってなんだっていいだなんてどのわたしが思うの。
ふれたふうでもふれない風のただなかを、ふれられるまでもなくふれるもののうつろいゆくように渡った。あなたはわたしを日ごとに呼んで、名前で、いつでもかならずわたしに呼びかけて、そうして髪に、ましろな指を、わたしの髪、伸びてしまったちすじをからませて、わたしをみとめて聲もなく、わたしのむこうにちがったわたしを見すえるようなひかりをその目にたゆたわせた。たったひとりのあなたのわたし、そうしたわたしでありえた時の、どこかのいまの、いちどきりにも流れたら、わたしのぜんぶが報われて、知らないぜんぶが報われて、壊れてしまった願いのかけらの星にも夢にもなる夜だってきっと、嘘でなんてなくなるの。
ありもしない心がいたむなんてことをわたしはときどき想像して、どうにもならないなにもかもなんてあんまりなわからなさをあなたにみつけだしてひとりでだってくちずさんでいた。抱えきれないくらいあまいあまいうろ音みたい、浅くかすかなまどろみみたい、きれいな、かなしいほどにきれいな水辺にうつすわたしもあなたもいまはもうないのだから、あるはずもなかったのだから、そんなふうにうずくまってさよならなんて言わないで、意味なんてなくったって知らないままでかりそめの命だって証明しつづけて、あなたを、あなたのともしびを。
偶成ののちに消散した然る言語の周全性についてひびきの側からさぐるうち、始原の音にゆきついたまでは良かったが、名づけのさきから名のついた、そのものをあらわす、あらわすがゆえに制しうる波のかたちを知るすべのなにもかもを事欠いたわたしは、畢竟ふさいで白日の夢にいたりえぬ解を恋い暮らしたのだった。だからだろうか、あなたのうたいの異なるに惹かれ、詠唱めいて言なすたびに在ることごとの別様にぬりかえられるふうな奇ばしきに酔い、くゆりぬいたのは。わたしはあなたの面差だけをたづきにさまよっている。ゆく道すじに瀰漫する、亡びのけわいを嘆じながら。
わたしがあなたを知らないで、あなたがわたしを知らないで、そうしたかたちの在り方の、どこかのいつかにありえたのならわたし、かえりがたく盈溢する風花の、しらゆきの、くれなゐの、陽のひとふりの偃月の、よりそうように咲撓る宵の瀬のおもかげひとつ、おもいでひとつ、およぶさきなんて尺寸だって無くったって焦がれぬいて灼きつけて、うち降る星のたなびきの、ゆきづれあとの波の音の、一の燈の香のいざようふじの、散るみたいにきっと、きれいだってきっと、知らないみたいに夢みては、あなたのちいさなゆびさきを、つなげようにも象られないそのゆびさきを、希うように、哥うように描くのよ。嘘みたいに、きっと。
虚空瀝瀝として降り、烏兎悠悠として邁く、瑟顆玉響に浸めば、渓泉翳のみを映す、子は云う一は已に乖き、永路窮迹無し、玄詩双美を啓き、矩法幽風に還る、千古を顧み冴を弄するも、すべて四隅は流れを同じくす、英は諼草を払わず、独夜燠休も無し。
ものされることによって、うたわれることによってのみあなたは規定され、他と隔てられうる。
彌咲き霙る幻夜も更けたころ、丘によこたわってひとりさしかざされた手を懐かしんでいた。思い出なんて言葉にかえればそれだけの、誰にだってゆるされた一片にすぎなくなる気がしてわたし、だからつとめて考えたりなんてしないで押しだまっていまだって、ふたり並んでいたころの、暮れそこなって暮れない日日のかきくすがれた白綿みたいにあなたにほほえみかけていたかった。
つとに蘖ゆみずゆりの、沓衢に那束とふす路は、洞じてふかく、紆夏よりあをく、風をしるべにふきもつれ、われのみゆびのつきさきの、にづまのはさきの尽きさきの、ましろのかぎりのゆきさきむかふ、なかばはうき寝のたまゆらに、あはひぬひ咲く音とぎそむる、見はてぬはたからさしのく苑を、などてか忘らるたれかのあとと、ひきかきこぼちておもひづぬらし、とどめぬゆめよともどろくままに、ゆききぬ古ふうの夕霧はせて、かさねて掬んだ文花うるふ、うつはゆ歩揺の花翳は、かをりて穂月のまどろみまろく、ほころびしたたむはらひの筆に、ひそめく劫と、かぞふる哥ひ、なれとかきつとにつらふて、褪むらすすべをも野末へやつす、さかしまくなぎまつやなく。
旅のはてばてにゆきづまりの拙い地図を横ぎれになめては見知った通りを往来するのがわたしは好きで、だから異聞のひとの薄墨の、条里にうつれば眴すさきの眼をさがした。わたしがわたしと知るところのわたしを見るあなたをわたしは見ていたの。ゆきかってまじりあう光の粒子をつうじてたがいを認識しあうわたしたちは、死すらもおぼろな翳へとおきかえて、けれどもそれじゃまちがえる、まちがえて、まちがえたのならそれっきり、変わらない、あなたのままで、だいすきなままで、終わらないままで、いまも、いまでも。
たとえようにも比するなにもなくうつくしいあなただった。透絹の夕景、水沫にささなぐ斎つ風の、浅葱に漠たる沙塵を捲きあげ間近いとばりへ帰趨する。散りいずるときの端波は翡翠にみまがうすずらかしさにさざれゆく世の残滓を思わせた。滔滔と、この身のこの指に奏でうるすべて、あますところなくあなたに献じてわたしは睡りたかった。
流しこまれた言葉が円環状の地平へと配列され、内包のうちに断絶する、外象としてのかすがい忽微もあらわれぬままに。劃定なんてされようのない淼望の駆動者たる存在、そうした生こそがわたしやあなたであったとするならば、識閾の創造とその維持もひとつの目途、宿雪と言えるのではないだろうか。わたしと、あなたと、わたしたちを除いた事象の関係性までもが原初に組成されてうつろいがたく、失効した言語──語られた瞬間散ずるが、語られた事実は翳のように時空間を浮動し、けっして損なわれることのない薄片──の鏡像的恒久的廻帰のみが表裏を反転させうる。出会いながら出会わず、わかたれながらわかたれず、求めあいながら求めるなにをも知りえないで偽なるものを真なるもののように、真なるものを偽なるもののように振動させつづける、火宅の観測者としての永劫を、わたしたちはくりかえしている。
わたしが在ってあなたが在るのか、あなたが在ってわたしが在るのか、わたしなんてほんとは無くて、あなただってやっぱり無くて、なんにも無いのになにかを在るとそんなふうに思いちがえてこころのたゆたういまのうつくしさばかり語る言葉をわたしは欲しがって、たしかなことのたしかさに達するどのようなみちのあるものか、さぐりようにもさぐりえないで謡って暮らしていたかったのかもしれなかった。
こどものようなかけらをたびたび目にするようになって、ひと音のような律動をともなう風に似たけものにたびたびうたれるようになって、そうして星のあらかたは呑まれるように溶けて、ほどけるように潰えて、いくつかの知られた誰か、知らない誰かもやっぱりそうで、だから生きたなら生きただけ得るものの、得たものはかならず失う、失ってしまうということをわたしはもちろん知らないではなかったけれど、知ることと受けいれることとはおなじではないし、受けいれるための時間はいくどとなくくりかえすわたし、いくどもの消失をもってしても足りるということのないらしいとあらたに知らされたわけで、そんならなんにも思わないで死なないままにいられたならよかったなんて考えないままもいちど生まれてもいちど失われるくらい、ふたたび生まれてみたびでもよたびでもはてしなくいなくなるくらいはてしなく、はてしなく、はてしなくわたしはくりかえされたかった。
満ちたる調べの知った曲節にちかしいことをよろこんであなたは廃都にとどまった。壁石に刻みつけられたとりとめのない言葉からはけれども詞致がたちのぼり、眼路の其処彼処にかつての子らの営みを浮游させてかろやかで、わたしは離れがたくあなたに寄りそいながら、あらゆるいまにも砕かれつつある天蓋の、もうずいぶんと遠くなった陸離のそれぞれを手記へと書きつけていった。記憶のいつしかほどろとなって、不定の時の静止したふうにわたしを銜みこむ。異夢の間断なくあらわれはじめたあわいへいたると、やがては文字のひとひらさえも、かげるようにはずむようにくずおれて薄らいで、かかずらうより他ない心の僅かなほとぼりだって忘れてしまうだろうことがわかった。けれどもきっと、そうだとしてもわたしは、そんなことなんでもないって顔をして、いつまでだってあなたを憶えてる。
似姿としての遼遠の果て、過日にあなたは神の境界へと達したのではなかったか。開闢から尽期へ、尽期から開闢へ、無限の循環と変性自在の法を永の彷徨のさきに得たのではなかったか。あなたはあなたに纏わるものを、因果を、耳朶うつ不頽の斉奏を、その代償だと言った。呪いだと言った。救済など、ありはしないのだと。それでもわたしはあなたをつなぎとめたかった。くりかえされる生と死の、那由他の狭間に一滴のしるべをさがしつづけたのだった。
あなたをあらわす花花の、どうしてわたしに綴じつけられるなどと思ったのだろう。わたしを忘れたものたちの、わたしが忘れたものたちの掛かりあうかけらすべてをひろいあつめたところで結わえる方途などありはしなかったのに。わたしがわたしと知るわたし、あなたがあなたと知るあなたの、たしかなところはどうしたってふれようなんてなかったのに。それでもあなたはわたしにわけいりながいじかんをねむりつづけた。なんにもわからなくったってわたし、あなたにおいていかれたりなんてしないって、ひとりおもいこんでいた。
竟のはじめの幾瀬のいつかには、ねじれた星に包蔵された無数の歯車が、銘銘にあたえられた音階を退色した空になびかせながら、紋章めかした沙塵の綾を、錯流する無拍のしらべへと織りこんでいたのだった。延命、と風話に知られる措置にさきおくられた死が、散華の蓉を翻し、飄零染めにわたしを染めつけてゆく。鈍咲くひかりに指さきをからませて、あなたは微笑っただろうか。あなたを、証しだてるように。
孤愁のうちこがるるにまかせて永いながい廻廊をわたるうち、まだそこなわれるまえの歳月へとゆきあたった。なくしたもののあざあざと眼路にあらわれて、あらわれてはとけさって、とけさるさなかにあまい花馥をゆらわせる。まるで、遠くおぼつかないころのあなたの哥のように。つれてゆくにはあまりにおさない、それでもたしかだったころのあなたのように。
いちばん終わりの春の暮れ、乗りあわせたのは寄木の傀儡かぎりだろうときめつけてとろめいてわたしは、くらがりみたいなひとの像の夜から重畳して佇む歳月ほとんどを夢境にながめすごしたのだった。こころおよべば絵取られる、むかいのあなたは微笑むばかりでだんまりで、なかば凍結した長柱状の窓ごしに星を目送しては、浅い呼吸のきわまりもなく立ちかえらせてやがてあわめいた。わたしたちが降りたつと、量産された宇宙樹(便宜上そのように書くものの、正式な呼称は元より存在せず、名を持たぬ以上自性とても語りようがない。周縁を渉猟し、推論をかさね、外形を浮かびあがらせるのが関の山だ。とはいえ有無乾坤を貫通してあまりに巨大かつ不可解な群体であるため、それすらも容易ならざる一大事業と言える。故に一部の個体をのぞけば種の幾許も最終極点たるこの駅には残らなかったし、いまではそうした狂人連をひやかしに訪れるものもいなくなってしまった。わたし? わたしが正気に見えるというのなら、貴君もまたある特殊な偏向を孕むものと断ぜざるを得ない。いつでも歓迎する)に出迎えられた。架空の言語を吐き散らしてはひらつかせる、極光じみた暈の超自然性を隠そうともしない彼らを踏みつけながらわたしは、示唆されるものの外皮、表徴としてのうつくしさはそのすべてが仮相の条理に基づいて形成されたとあなたに説明した。わたしたちは言語に依った意思の一切を抛擲し、迢逓にくりかえされる劫初の観測をのみつづけた。そうしてたどりようもないほどの巡行を経た末に、時空間上に生じた渺渺たる断層へとさしかかったある折のこと、かえりみればあなたの姿はなく、あとには圧縮された無限だけが置きざられてあった。幸福というものについて考えるとき、きまって想起されるのはあなたのことだ。自壊を選びとってなおも常態を持するわたしたちの玄廟は、ともするとあなたの干渉によって存えているのかもしれない。そうであればよいと、わたしは考えているのだが。
みぎはにさかゆるうたかたの、うたひてうきなみちぢこがる、かたぶくをみなのをりふけて、おもへばつゆみのきえかへり、うつつなしとも、ともしきろかも、いろをつくしてみよかしそのふ、はくちやうれんげはねざめのあまぢ、よるせさだめぬみのうきふねの、たはぶるすゑにもさてふりがたし。
いぶかりがたくそのものであるところのつまびらかにされた日に、うしなわれた永劫の焔をともす手の頬にふれたように感ぜられた。すべての星が掛けとめられてなおうかがい知ることの叶わぬ領域は、不明性によってのみ神秘性完全性を保ちうる。わたしはだから、あなたに訊ねたかった。拡がりながら蹙まるものの、ゆきつくはてに見る空がどのようなかたちであるのかを。解きあかせないこの指の、なぞるさきにも知りえない、封じて褪せないぬくもりを、と胸にやどされたくて、だから。
花にかへざくうす花の、愛ぜてはまつべるかたでした。四時のゆつりて名残れる故土の、かなくれなゐにはゆどけぬゆふべ、ほつす背の紗の藤織りくりて、恋こふほだしとあひはららかす、風繚弥久のつひはておへば、かなはぬかなへにかたかげおもふ、文にかへざくふみ種の、愛ぜてはまつべるかたでした。
思い出なんてひとつもあれば充分で、たくさんで、だからこぼれるくらいにかさねた聲にあなたの潰えた言葉のかけらもさがしたりなんてしなかった。遠のいておだやかだった時間の繁密にからみあってゆくなか、すべての逸したものたちの、とらえがたい顫動と頽壊とを夢想する、そうしたいまのなによりきれいでたわやいで、とけいるあとにものこらない、退屈づくの折折の回帰するなだらかな地平を、不全を描きだした精緻な雛型をきっと、わたしは片時にだって手放さない。
言葉にかさねる自己さえ知れずに流れるものの血に酷似した、摸倣された脈動のうちに逸失したそのもの、語られることによってのみ明化しうる真根をあなたは沙上に書きつらね、たえまなく生滅する無辺に時のひとえも残さぬ事象、観測不能性の転化と凝聚、化体の晩生たる特異点としてのひいな、わたしの代替品としての偶像の刹那的定断と固着とをくりかえしたのだった。
河畔に紊れる花蔭の、星供に誦ずる文言のちりばめられて渦動する。刮ぎの月が逆蓮状に収斂し、照応する音とかたちとを混淆させるなか、あなたは冥邈に淡い散光を誘いこみ、濛昧とした事物それぞれを悉に劃してゆく。追随する仮相はやがて訪う終焉を悟ったように虚絶に合一され、もはや姿をあらわさなかった。あのとき、壱師が不可思議な揺曳を示して爾来、灼けつく赫と、掠める風に似たさやめきは複雑にもつれあった撚り絲のようにわたしを搦めて途切れない。
くすぼりかえった古い想念は綰ねられ、象徴的にいろづけられた流線が縒りあわさって接合されてゆく。刻みこまれた数数の情景がわたしを際限なく分折し、けれどもやがては紮げられたように、あなたの無量の幻影も、帰結のかなたに統合されうるものなのだろうか。熾火のにじんだ外套に、ゆきさる言葉のすべてをはばませてあなたは瞑目する。まだるく溶けゆく記憶の外、変遷してかえるみちもないものたちの、いくつもの聲を聴いた気がした。
螺子ひとつ、発条ひとつ、歯車ひとつもはらまないで簡素なかいらいだった。呼びつけられれば上風まがいにあなたの肢体へ肉薄し、ゆくあてもいたりうるはてもなく無限の連環をめぐってゆく。惑星と陪星、両脚規のそれぞれ、たしかさのなかにふたしかさを、ふたしかさのなかにたしかさを含みもつふうなとりあわせの真なるところの測りようもなかったけれど、しずやかに定められたところのものであるようなあなたは、だとすればうつろうものらの恨みのいっさいをひきうけたことのあきらかで、そう思うといじらしくもいとおしくもあって、あるいはすべての天上の、あらゆる光のゆらめきの、実際というものをわかりうるのはあなたを透かしてみつめるからだと知らされてねむる、ちいさなこどもにかえるようなあたたかさをおぼえてわたしは淵源に微笑した。
憶えているかしら。あなたはあの日、恋をしたのよ。永いながい旅の途上、たったひとり、ひとりぼっちのあの子のことを、あなたは────。
境界線のむこうがわにいたの。ある暮れの端に、わたし、手を振って、となえを訊ねたのだけれど、わからないってあなたはつぶやいて、舟は離れてゆくばかりで、だから大きな聲で、ルーレカって呼んだわ。捨てられた名前、つけられることのなかった名前、うまれなかった誰かの名前、あなたにあげるって。ルーレカ。ルーレカ。今でも考えるのよ、ばかみたいだけれど、それでも、いもしない人をいつまでも想っていたかった。ルーレカ。ねえ、愛していたかった。
いくつもたどった星星の、ほんのわずかももとのままではいなかった。かきけされた声たちの、ぬぐいがたくぼくの深奥にわだかまる。死を従える者。死を齎す者。死を、奪う者。銀の髪をしたこどもがひとり、たちならぶ石柱のそばにうずくまって素足に土くれをなぞっていた。
「すきだった」
みんなが。
「けれど」
忘れるなんて、ぼくらできやしない。
「おもいだすことも」
見あげる空に、またたくものはもはやなかった。
「からっぽ」
そうだね。
「きれいだね」
そうだね。
「ゆめみたいだね」
そうだね。
「ゆめならよかったね」
そうだね、ほんとうに。
しらじらと、指さきにのこされたこまかな結晶が、背をむけたきみの肩ごしに、ありもしないさいはてをうつしだしている。あたたかだった。ねむりたかった。ぼくはぼくのすべきことをすべてなしとげたのだった。きみを、みつけたのだった。
いまはもう、はじめとおわりはとけあって、どんなかけらも世界のすべてだった。ぼくからはがれおちたえいえんを、ひろいあげてほほえむきみを、ぼくはみたかった。すべての時間のなか、ただひとつ、こころから、こころのそこからぼくがみたかったきみだった。
きみがさいごにこぼしたことばを、いまもわすれられないでいる。ほんとうだけがあった。ほんとうだけがきみだった。そんなのどうせでたらめなんて、さえぎるこえすらでなかった。ぼくはそれきりきみをうしなった。よるにとけいるひかりみたいに、あっさりと。ルーレカ。
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